2022年6月30日、秋山翔吾の電撃入団会見を、カープファンは驚きと喜びを持って見守った。日本球界のシーズン最多安打記録保持者であり、日米通算2000本安打を目指す名手の入団は、広島のみならず多くの野球ファンの注目を集めた。

 秋山以前にも、カープ入団を発表し注目を集めた選手たちがいる。ここでは、そんな選手たちの当時の声を再編集して掲載する。

 今回は、2008年に横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)からカープに移籍して選手として活躍し、コーチとしてもリーグ連覇に大きく貢献した、石井琢朗(現・DeNAコーチ)のカープ入団直後の独占インタビュー【後編】をお届けする。

 前編はこちら

カープ入団時は39歳。2011年に40歳7カ月で記録した猛打賞は、広島の球団記録だった。

◆20年間積み上げてきたものを。

— カープの内野陣は若い選手が多く、石井選手に求められる部分も大きいと思います。どういう存在になっていきたいですか?

「こればっかりは入ってプレーしてみないとわからないですね。何とか力になりたいと思っていますが、引っ張っていくんじゃなくて、下から若い選手のおしりを叩いてどんどん押し上げていきたいんです。同じ土俵に立って一緒にプレーして、どうにかして内野陣のレベルを底上げしていきたい。みんなとともに上がっていきたいと思います」

— それは石井選手からいろいろ教えていくのか、それとも競争の中で、ということになるのですか?

「競争は絶対に必要だと思います。実力を認めて優先的に使いながら育てていくことも大切ですが、ある程度の競争があってそこを勝ち抜いていくことは重要なことです。最初から与えられたものというのは、何か壁に当たってしまったときや挫折したときには、けっこうもろいものなんです。若いときは勢いで行けるところまで行けるんですが、何かあったときに歯車が狂い出すともろい。そこでどう踏みとどまれるかということが大事になってくるので、土台を固めるという意味でも競争を勝ち抜かないといけません。下積みの中で強くなっていかないといけないんです。それこそシーズンの長丁場を戦い優勝争いまでたどり着いたら、柔な気持ちじゃ戦っていけませんから。相手と戦う前にまずはチーム内で戦って、チーム内で戦う前にまずは自分と戦わないといけません」

— それはまさに、石井選手のこれまでの野球人生を表しているのかとも思います。ドラフト外で投手として入団し、野手に転向して大輪の花を咲かせました。

「そういうことがあるからこそ、僕はこういう状況(2008年、ベイスターズから引退勧告を受けるも拒否し、自由契約となる)になっても大丈夫だったんだと思います。最初から鳴り物入りで入団しポジションを与えられて、という選手ではなかったですし、全くのゼロからのスタートでしたから」

— そういう意味では、積み上げてきたものは石井選手の財産なのですね。

「そうですね。数字ではなくて、これまで自分が積み上げてきたもの、作ってきたいろんな引き出しは、横浜から広島に持っていくつもりです。数字はリセットして新たな気持ち、新人のつもりで身ひとつで行きますが、ただ、20年間の財産は持っていこうと思っています」