2022年6月30日、秋山翔吾の電撃入団会見を、カープファンは驚きと喜びを持って見守った。日本球界のシーズン最多安打記録保持者であり、日米通算2000本安打を目指すヒットメーカーの入団は、広島のみならず多くの野球ファンの注目を集めた。

 秋山以前にも、カープ入団を発表し注目を集めた選手たちがいる。ここでは、世間を驚かせた電撃復帰、電撃入団のニュースを再編集して掲載する。

 今回は、2008年に横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)からカープに移籍し選手として活躍。引退直後からコーチとしてカープに残り、リーグ優勝に大きく貢献した、石井琢朗(現・DeNAコーチ)。

 ここではカープ入団直後に広島アスリートマガジンで掲載された石井琢朗の2009年当時の独占インタビューをお届けする。

2008年11月、横浜ベイスターズからカープに入団した石井琢朗。入団時の背番号は『25』

◆気持ちは広島に。

—2008年11月にカープへの移籍が決まり、間もなく春季キャンプが始まろうとしています。心境はいかがでしょうか。

「まだいまいちピンとこないですね。キャンプに入って赤いユニホームに袖を通し、今までとは違う環境で動き始めたときにようやく実感するんじゃないかと思います」

—20年間横浜一筋でやってきたわけですが、気持ちの切り替えはできていますか?

「気持ちは横浜から切り離して、広島に向いているというのは確かです。ただ、話の節々に“うち”という言葉が出てきてしまうんですよね。例えば横浜の内川を指すのに『うちの内川は』と言ってしまう(笑)。その辺は直さないといけないですね」

—やはりそれは時間とともに、という形になるのでしょうね。

「だと思います。だから今までは電話をかけるときも『ベイスターズの石井ですが』と言っていたんですが、最近はチーム名を名乗らずに『石井琢朗ですが』とフルネームで言うようにしています。『カープの石井ですが』と言ってもまだピンと来る人はいないと思うんですよね(笑)」