監督2年目のシーズン

 野手が丸なら、ピッチャーでこの年に飛躍したのは(今村)猛だろう。猛もルーキーイヤーの前年は2試合に先発しただけだったが、この年は54試合に登板。先発、中継ぎ、抑えとして大車輪の働きを見せ、セットアッパーの座を確立する翌年への足掛かりとなった。

 僕は猛の一番の魅力は、全力で投げないところだと思っている。彼を獲得する決め手となった高校時代の練習試合の映像があるのだが、そこでの彼の球は140、141、138キロ……まったくスピードが出ていなかった。しかし打席に当時九州ナンバーワンと言われたバッターが入ると、球速が151キロに跳ね上がった。

 つまり猛はそのバッターしか相手にしていなかったというわけだ。僕はそれを見て「こういう生意気なヤツっていいなぁ」と気に入ってしまい、そこから注目して眺めるようになったのだ。

 2011年、僕にとって監督2年目のシーズンがスタートした。まずこの年は東日本大震災が起こった年ということを忘れてはならないだろう。震災があったのはオープン戦の最中で、僕たちは想像を超えた状況に言葉を失った。

 現場を預かる者としては、延期されたシーズンがいつ始まるのか、どのような形でスタートするのか、そのことに神経が向かっていた。選手の中には「こういう状況で野球をしていていいのか?」と悩んでいる者もいる。そのあたりのメンタルのケアと、投手陣の調整については非常に細かく気を配った。

 結局何度かの話し合いの末、ペナントレースはセ・パともに4月12日開幕ということで結着がついた。開幕戦はマエケンで負けて連敗スタートになったが、そこから6勝1分。その流れの中でマエケンに勝ちがついたし、バリントン、猛、福井といった新鋭たちも初勝利を記録。

 ピッチャーはとにかくひとつ勝てると次の試合が楽になる。シーズン前から投手陣には手応えを感じていたが、期待通りのスタートが切れて「今年はやるぞ!」という雰囲気がチーム内には満ち満ちていた。

 ただ、この年は交流戦に大きなワナがあった。交流戦に関しては2010年の成績が10勝12敗2分。負け越してはいるが、そこまで分が悪いというわけではない。しかしこの年はドロ沼の10連敗(5月25日~6月6日)を経験。しかもその最中にリーグワーストとなる50イニング連続無得点という屈辱的な記録までつくってしまった。もちろん交流戦の順位は12球団中最下位である。