組織論・戦略論 などの視点から、近年のカープの強さ・魅力の秘密を紐解いていく、広島アスリートマガジンwebでしか体感できない講義・『カープ戦略解析室』。案内人は、高校野球の指導者を20年務め、現在は城西大経営学部准教授として教鞭をとるなど多彩な肩書きを持つ高柿健。4回目の今回は、長きにわたりカープを支え続けた、故・三村敏之氏がカープにもたらしたある戦略にフォーカスを当てた。
『100勝100セーブ』投手の意味するもの
前回は黒田博樹・新井貴浩がもたらした新たな武士道野球(2.0)のスタイルについて、話をさせていただいた。今回は選手、コーチ、2軍監督、監督として34年間カープを支え続けた故・三村敏之氏が掲げた『トータルベースボール』の意味するものと、それを支えるポジショニング戦略について考えてみたい。
『100勝100セーブ』。カープにはこの偉業を達成した投手が3人いる。江夏豊、大野豊、そして現監督の佐々岡真司だ。この記録は『先発』と『抑え』という異なる能力が求められるポジションに適応し、活躍した投手の証といえる。
南海ホークスに移籍した江夏を野村克也がリリーフに転向させた話は有名だが、1995年、当時抑えだった大野を先発に、そして先発だった佐々岡を抑えに配置転換したのが三村氏だった。当時のチーム事情と連投への適性、持ち球などの能力要因がその理由として考えられるが、三村監督は常に総合力(トータル)での戦いを目指し、選手を『生かす』ことを考えていた。
「All or Nothing。一か八かではプロとはいえない」。
三村氏が福山大学客員教授時代、筆者は『コーチ学』を三村氏と共に研究する機会に恵まれた。数々の知見をいただいたが、なかでもプロを生き抜くためのポジショニングを重視した話は印象に残っている。
経営学者として一つ欲を言わせてもらえるならば、「ぜひ、ビジネスマンとしての三村敏之を見てみたかった……」のが本音だ。野球における三村氏の戦略や仕組みづくりは、『トップマーケター』のそれと重なって聞こえたのだ。
マーケターは経験やデーターを活用し、これから市場がどのように動いていくのか、何が求められているのかを予測する。プロ野球でいえば、個々の選手の能力(期待)値から将来のチーム戦略を探ることといえるのではないだろうか。
三村氏から先発転向への打診を受け入れた大野は1997年、最優秀防御率のタイトルを獲得し、翌1998年には最年長開幕投手を務めた。抑えに転向となった佐々岡は1996年に5日間連続セーブという新記録を達成するなど、数々のカープの勝利に貢献した。その結果、両投手とも長きにわたりカープでプレーを続け、『100勝100セーブ』を達成したのだ。
彼らの功績から、この記録にもう一つ意味を付け加えるとすれば、『チームファースト』の思いを持つ選手の勲章と見ることもできるだろう。