『超二流』のポジショニング戦略

三村氏によれば、プロ野球の世界において『一流』は目指すべきではないという。これは決して努力をするなという意味ではない。『一流』とは天賦の才を授かった人のみにしか到達できない領域なのだ。全員が4番やエースになれずとも、自分が生き抜く場所を見つけ、そこで輝く人材を三村氏は『超二流』と表現していた。トータルでの成果が求められるプロでは、大半の選手は『一流』ではなく、『超二流』を目指さなければならないのだ。

自分の力量を的確に判断して、それを見極める。組織の中で自分を生かす道を定めて、歩む方法に工夫を加える。三村氏はこの『超二流』を一、二軍の監督経験から、一流をもしのぐ究極の人材と位置づける。

『超二流』は自分のみならず、チームメイトまでも生かすことができる。現カープ一軍ヘッドコーチの高信二もその一人だった。三村氏は『守りの抑え』という独特な表現で称えるが、高の安定した守備力は試合後半の『守り』に安心感を与え、90年代カープに欠かせないバイプレーヤーとしてプロ野球界を生き抜き、三村カープを支えた。

三村氏自身も1975年のカープ初優勝に貢献した二番打者としての『つなぎ』が自らの集大成であったと位置づけていた。チーム構成から野球における流れをセグメントして、自らの役割をターゲットした『超二流』のポジショニングは、まさにコトラーのマーケティングといえるだろう。

『カープの強さとは何か』。その一つは、状況に応じた選手の役割意識の高さ、創造的ポジショニング力といえるのではないだろうか。

三村氏の言葉を借りるならば、石垣の隙間を埋める、形を変えられる石がたくさんあるということだ。こうした堅固な基礎を持つ『鯉城』は簡単には崩れないのだ。

1996年、三村氏は歴史的敗軍の将となった。最大11.5ゲーム差で首位を走りながらも主力選手の相次ぐケガにより、長嶋巨人に『メークドラマ』を許したのだ。

この屈辱を選手として味わった野村謙二郎、金本知憲、江藤智、緒方孝市らはのちに指導者となり球界を牽引した。特に三村監督の背番号9を継承した緒方は25年ぶりにカープを栄冠へと導いた。そのビクトリーロードは現役生活の教訓を生かした、振り向くことのない独走の勝利であった。

FAでの補強は期待できないことは当時と今も変わらないが、現在のカープでは当時の教訓を生かし、育成を軸にしながら強いチームを構築することができるようになった。事実、野村謙二郎・緒方孝市は監督として、三村氏の思いを背負い、若手を積極的に起用し、超二流を育て三村氏が標榜した『トータルベースボール』を完成させた。

野球とはスーパースターのみがやるものではない。カープの優勝はチーム全体で戦う野球の本質を再認識させてくれた。長期ペナントレースをにらみ、試合や成績をトータルで考えられる超二流たちが強いチームをつくりあげていく。この超二流をいかに機能的に組み合わせていけるか、そのやりくりがトータルベースボールの肝といえるだろう。

「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」。

野村克也の遺した言葉に当てはめて考えるならば、指導者としての三村敏之氏は超二流ではなく、間違いなく“一流”であった。

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高柿 健(たかがき けん)
広島県出身の高校野球研究者。城西大経営学部准教授(経営学博士)。星槎大教員免許科目「野球」講師。東京大医学部「鉄門」野球部戦略アドバイザー。中小企業診断士、キャリアコンサルタント。広島商高在籍時に甲子園優勝を経験(1988年)、3年時は主将。高校野球の指導者を20年務めた。広島県立総合技術高コーチでセンバツ大会出場(2011年)。三村敏之監督と「コーチ学」について研究した。広島商と広陵の100年にわたるライバル関係を比較論述した黒澤賞論文(日本経営管理協会)で「協会賞」を受賞(2013年)。雑誌「ベースボールクリニック」ベースボールマガジン社で『勝者のインテリジェンス-ジャイアントキリングを可能にする野球の論理学―』を連載中。