プロ11年目の野村祐輔は2007年夏の甲子園決勝を経験した。

 今年も大盛り上がりだった夏の甲子園。8月22日の決勝では仙台育英が下関国際を下し、東北勢初の甲子園優勝を成し遂げた。

 日本中の野球ファンが注目する甲子園決勝で戦えるのは、たった2校の高校球児だけ。過去に甲子園の決勝で戦った経験を持つカープ戦士を紹介したい。

◎2003年春
白濱裕太(広陵/優勝)

 大ベテランの白濱裕太も思い返せば、高校野球界のスター選手。広陵で西村健太朗(元巨人)とバッテリーを組み、2年春から4季連続で甲子園出場。3年春のセンバツでは、4番で正捕手の大黒柱を担い、決勝に進出。

 決勝では5打数2安打3打点の活躍。横浜高を15対3で下した。このとき、横浜高のピッチャーは涌井秀章(現楽天)と成瀬善久(現BC栃木)。とんでもない打線の中核を担っていた。

◎2007年夏
野村祐輔(広陵/準優勝)
上本崇司(広陵/準優勝)

 2007年夏の甲子園決勝といえば、平成の名勝負と言ってもいい一戦だった。野村祐輔らを擁する広陵と佐賀北が激突。広陵優勢の前評判だったが、8回裏に野村が逆転満塁ホームランを被弾。「がばい旋風」に飲み込まれ、惜しくも4対5で敗れた。

 このときの広陵メンバーは、3年に小林誠司(現巨人)、土生翔平(元広島)、2年には上本崇司もいた。打順は2番・上本、3番・土生、8番・野村、9番・小林。

 野村は精密なピッチングもさることながら、打撃でも21打数10安打5打点と大活躍。2013年にはプロでもホームランを放っているが、実は結構打てる投手だ。

 また2年には中田廉もいたが、この大会ではメンバー漏れ。悔しさを胸に翌夏は背番号3の主戦格として甲子園に出場した。

◎2009年夏
堂林翔太(優勝/中京大中京)
磯村嘉孝(優勝/中京大中京)

 2009年夏の甲子園の主人公は堂林翔太だった。中京大中京の4番・エースを担い、23打数12安打12打点。1大会最多タイの6本の二塁打も放った。

 決勝では新潟の日本文理と対戦。先発後、ライトに回っていた堂林は10対4で迎えた9回表に志願登板。簡単に2アウトを取ったものの、そこから日本文理の猛攻に遭い、2点を返され、2死一、三塁で降板した。

 その後、日本文理が1点差まで追い上げ、なおも一、三塁のチャンスを作ったが、痛烈なライナーがサードのグラブに収まりゲームセット。堂林は安堵からか泣き崩れた。

 堂林が目立った大会だったが、2年生の磯村嘉孝もこの大会で大活躍。5番打者として2本塁打を放ち、決勝でもタイムリーを放っている。

◎2011年春
三好匠(準優勝/九州国際大付)

 三好匠も元甲子園スター。2011年春のセンバツでは、3番エースとして全試合完投。決勝では1対6で東海大相模に敗れたが、打者としても2本塁打を放ち、投打で大活躍を見せた。バッテリーを組んだ髙城俊人(元DeNA)もプロ入りを果たした。

◎2014年夏
正隨優弥(優勝/大阪桐蔭)
 

 正隨優弥は名門・大阪桐蔭で4番を張った逸材。甲子園では本塁打こそ出なかったが、6試合で23打数7安打3打点。大阪大会では3本塁打をかっ飛ばし、チームを勢い付けた。

 同期には福田光輝(現ロッテ)、香月一也(現巨人)、青柳昴樹(元DeNA)など。決勝では正隨は無安打だったが、4対3で三重を退けた。

◎2016年春
松本竜也(優勝/智辯学園)

 松本竜也も2016年春の優勝メンバー。ただ、この大会は1学年上の村上頌樹(現阪神)が全試合完投で優勝をもぎ取り、松本は登板なし。翌春、改めてエースとして甲子園に帰還している。

◎2017年夏
中村奨成(準優勝/広陵)
韮澤雄也(優勝/花咲徳栄)

 この年の夏は、中村奨成が甲子園の中心にいた大会。6本塁打、17打点、43塁打と次々と1大会記録を更新。19安打に加え、6二塁打も1大会最多タイ記録。28打数19安打6本塁打17打点と甲子園の歴史に残るほど打ちまくった。

 ただ、14対4で決勝を制したのは、3年に清水達也(現中日)、西川愛也(現西武)、2年に野村佑希(現日本ハム)を擁した花咲徳栄。試合出場はなかったが、1年生の韮澤雄也もベンチ入りしている。

◎2018年春
林晃汰(準優勝/智辯和歌山)

 少数精鋭の名門・智辯和歌山で1年春からスタメンを張った林晃汰も春のセンバツで決勝の舞台を踏んでいる。

 同大会では打率.190だったものの、相手からのマークがとにかく厳しかった。大会通じての出塁率は.346。1本塁打、6打点と要所で活躍を見せた。決勝の大阪桐蔭戦でも2四死球でチャンスメークしたが、2対5で敗れている。