高校時代までは無名に近い存在だったが、大学進学後から梵氏の野球人生が大きく動き始めた。

 自身の誕生日でもある10月11日、かつてカープのショートとして一時代を築いた梵英心氏が、“選手として”の現役引退を表明した。選手として白球を追いかけた期間は約30年。当稿では長期にわたる取材データを元に、梵氏の激動の野球人生を振り返っていく。

 梵氏の激動の野球人生がスタートしたのは小学5年生のときだ。スポーツが好きだったという梵少年は熱烈なカープファンだったわけでもなく、ただ友達に誘われ「楽しそうだったから」というのが野球を始めたきっかけだった。

 本気で取り組み始めたのは中学生になってからのこと。部活の練習にも熱が入り、「甲子園に出られるような強豪校で野球をやりたい」という気持ちが日増しに強くなっていった。しかし中学3年のとき、地元の三次高野球部の監督が何の前触れもなく梵氏の自宅を訪れる。梵氏が高校3年になる年に同校が創立100周年を迎えるということで、「地元の選手を集めて、甲子園に出場できるチームをつくりたい」と熱烈な勧誘を受けたのだ。

 監督直々の申し出を意気に感じた梵氏は、同校への進学を決意した。先輩部員が5人だけという、およそ後にプロ野球選手を輩出するとは思えないような環境で甲子園を目指すこととなった。結果的に高校3年間で甲子園出場は叶わなかったものの、入部からわずか1年半で広島県予選ベスト16入りを果たし旧広島市民球場での試合も経験している。もちろん当時は、まさかこの場所が将来の“職場”になるとは思ってもいなかっただろう。

 三次高野球部監督の母校が駒澤大だったことが縁で、卒業後はセレクションのすえに駒澤大に進学した。名門校での猛練習により、大学3年の秋には大学生の全日本代表候補の一人として名前が挙がるようになっていた。その頃『代表候補は4名ずつプロ野球のキャンプに参加できる』という特典で中日ドラゴンズの沖縄キャンプに参加した梵氏は、そこで野球選手としての現実を突きつけられることになる──。


●梵 英心(そよぎ えいしん)
1980年10月11日生、広島県出身。三次高-駒澤大-日産自動車-広島(2006~2017年)-エイジェック(2018年~)。2005年大学生・社会人ドラフト3巡目でカープ入団。2006年に新人王を受賞。2010年には打率3割(.306)をクリアし、43個で盗塁王、ショートとしてゴールデン・グラブ賞にも輝いた。2013年には選手会長に就任。2017年オフにカープを退団。2018年に社会人野球・エイジェックで選手兼コーチとしてプレー。2019年10月11日に現役引退を発表した。