通算2000安打、トリプルスリー達成など、カープの歴代ショートの中でも球団史に名を残す経歴を持つ野村謙二郎氏。

 プロ2年目の1990年にショートのレギュラーに定着すると、走攻守三拍子揃った選手としてチームを牽引し、 ショートとして球団初のゴールデングラブも受賞している。ここでは野村氏の数々の経験を元に独自のショート論を語ってもらった。

独占インタビューに応じる野村謙二郎氏。

◆髙橋慶彦さんの後に守ったショート「相当なプレッシャーだった」

─昭和、平成、令和と時代が移り変わる中で、球界の中でのショートというポジションに対する捉え方について、野村さん自身どのように感じておられますか?  

 「昭和の時代はどちらかといえば『守りがしっかりできる』というように、守備が重要視されていたと思います。僕がカープに入団した頃(1989年)のショートには髙橋慶彦さんがおられましたが、躍動感があって、見ていてワクワクしていました。黄金期を支えたショートストップであり、打って走れるリードオフマンというイメージで憧れの存在でした。捕手でも昔はリード面が重視されていたと思いますが、ここ数十年で打てる捕手が注目されています。ショートはもっと早い段階で“打てるショート”という時代に入っていたのではないかと思います」

─プロ2年目からショートのポジションでレギュラーとして活躍されました。髙橋慶彦さんの後のショートを守るというのは、どのような心境だったのでしょうか?  

 「相当なプレッシャーでした。憧れの存在である慶彦さんが1年目オフに移籍されて、僕がショートを守ることになりました。当時はショートのレギュラーという感覚もなかったですし、『お前が守るんだよ』という雰囲気の中でプレーしていたように思います。あの当時は見ている人たちからしたら、『野村で大丈夫なのか?』と思われていたでしょうし、僕自身も『本当に俺でいいのかな?』という気持ちの中で、無我夢中でやっていたのが正直な気持ちでした」

─球界を代表するショートストップとして長年活躍されましたが、同じポジションでライバル視していた選手はいますか?  

「あの時代は横浜(現・DeNA)の石井琢朗(現・DeNA一軍コーチ)、巨人の川相昌弘さん(現・巨人ファーム総監督)、ヤクルトの池山隆寛さん(現・ヤクルト二軍監督)など、すごい選手たちが揃っていましたし、常に負けないように意識していました」

─二遊間を組まれていた正田耕三さんはゴールデングラブ賞を受賞された名手でした。ショートを守る上で正田さんの存在は大きな影響を与えられたのでしょうか?

 「いろんなことを試合の中で教えてもらいましたし、試合後にもよく指導していただきました。正田さんと二遊間を組んでいた頃の一番の思い出は、ダブルプレーですね。左打者、右打者でベースカバーを決めるのではなく、1球、1球投手の配球であったり、投げる瞬間、サインが出る瞬間に相手打者がどういう打撃をしてくるのかを考えながら、状況に応じた守りを展開するということを教えていただきました」

 =インタビュー第2回へ続く=

<プロフィール>
野村謙二郎●のむら・けんじろう
1966年9月19日生、大分県出身。
1988年ドラフト1位で広島入団。入団2年目にショートに定着すると、長年にわたって1990年代のカープ内野陣をけん引した。トリプルスリーを達成した1995年にはショートとして球団初のゴールデングラブ賞を獲得した。走攻守三拍子揃った球界を代表するショートとして長年活躍し、2005年には通算2000安打を達成し、同年引退。
2010年から5年間カープ監督を務め、2013年にはチームを16年ぶりのAクラスに導いた。現在はプロ野球解説者として活動中。