2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着たチームメイトがピッチ上で見せた才能、意外な素顔などを連載『エースの証言』で振り返っていく。

クラブ創設20年の節目となった2012年。悲願の初優勝を決め、サンフレッチェにとって歴史的なシーズンとなった。写真は優勝シャーレを掲げる森保一監督と佐藤寿人。

【森保一・後編】ありのままの姿を見せて弱い部分もさらけ出した

 (前編から続く)2012年、ポイチさんは監督としてサンフレッチェに戻ってきました。監督を務めるのは初めてなので、僕も期待と不安が入り混じっていましたが、それでも不安を一緒にかき消したいと思っていました。ポイチさんは、そういう思いにさせてくれる人なんです。

 チームが始動した時期に、ありのままの姿を見せてくれたことが大きかったと思います。素の自分や弱い部分も、すべてオープンにさらけ出していました。監督1年目だから、何でもできるわけではない。全員の力を結集させて戦っていこうという思いを伝えてくれて、ポイチさんを中心に手をつなぎ、輪が大きくなっていくような感じがありました。チームがつくられていくのを、キャプテンとして近くで見させてもらいました。

 一方で厳しい一面もあり、前半の出来が悪かった試合のハーフタイムに、全員が強い口調で怒られたことは何度もあります。良い意味で頑固な人なので、監督として譲れない、認められないことがあれば、その意思を明確に示していましたが、かといって、いつまでも根に持つようなことはありませんでした。

 2014年、僕がハーフタイムに交代を命じられたことに納得できず、ポイチさんの握手を拒否して悪態をついてしまったときもそうです。「あの態度は、いくら寿人でも受け入れられない」と言われ、1週間の謹慎と別メニュー練習を命じられましたが、それで終わり。ネチネチ言われることはなく、その後の2人の関係も以前と同じでした。

 2016年限りでサンフレッチェを退団することを電話で報告したときは、涙が止まりませんでした。ただ、もっと長い時間プレーしたいと思うのは、選手であれば自然なことです。ポイチさんも現役時代に同じような移籍を経験しているので、僕の気持ちを理解してくれましたし、「起用してあげることができず申し訳ない」と声を掛けてくれました。その後も、ポイチさんがサンフレッチェの監督を退任した直後や、僕が引退を考えている時期など、節目には必ず会って、いろいろな話をしてきました。

 チームメートから監督になったポイチさんは現在、日本代表を率いています。カタールW杯最終予選で、僕がインタビュアーとして話を聞いたときは、こんな日が来るなんてね、と終わった後に笑い合いました。

 ポイチさんは僕にとってだけでなく、すべての人にとって、気配りの人。悪く言う人は見たことがないです。プレーや背中、言葉でプロとしてのあるべき姿を示していた現役時代、サンフレッチェに3つのタイトルをもたらした監督時代、どちらを思い出しても、ポイチさんとの出会いなくして僕のキャリアは考えられません。サンフレッチェでそうしたように、選手たちが持っている力を最大限に引き出して、日本代表を高みに導いてくれることを心から願っています。

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◆森保一(もりやす はじめ)
1968年8月23日生、長崎県出身
ポジション・MF サンフレッチェ広島/1987年〜2001年 ※マツダ時代を含む
サンフレッチェの前身・マツダに加入し、中盤の主力に成長。1992年に日本代表に選出され、1993年のJリーグ開幕後も中心選手として活躍した。2003年の現役引退後は指導者となり、サンフレッチェの監督として2012年、2013年、2015年にJ1リーグ優勝。現在は日本代表監督。

◆佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し2012年にはMVPと得点王を獲得。2020年限りで現役引退。通算のJ1得点数は歴代2位。引退後は指導者・解説者として活動中。