2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着たチームメイトがピッチ上で見せた才能、意外な素顔などを連載『エースの証言』で振り返っていく。

サンフレッチェの監督として2012年、2013年、2015年にJ1リーグ優勝を果たした森保一氏

【森保一・前編】夫婦ともどもお世話に。たくさんのことを学べた

 ポイチさんとの出会いは2003年、僕がジェフ市原(現千葉)からベガルタ仙台に期限付き移籍したときです。ポイチさんは8月に35歳になるベテランで、仙台のキャプテンを務めていました。

 僕はプロ4年目、3月に21歳になる年で、年代別代表の活動の後に遅れてチームに合流しました。ポイチさんがすぐに「分からないことがあったら、何でも聞いて」と優しく接してくれたことを覚えています。結婚したばかりの妻がいることを知ると「一緒に家に遊びに来なよ」と誘ってくれました。僕にはサッカー選手としての心構えなどを話してくれて、ポイチさんの奥さんは妻に、サッカー選手の妻としての心得を教えてくれるなど、夫婦ともどもお世話になりました。

 ボランチのポイチさんは、常に当たり前のことを当たり前にやる選手。ミスが少なく、安定したプレーを見せていました。2003年、僕はJ1で9得点を挙げ、その後の礎を築いたシーズンとなりましたが、仙台はリーグ戦で19試合未勝利を記録するなど苦しい1年でした。ポイチさんも苦しんでいるようでしたが、チームがうまくいっていない時期でも、いろいろなところに目を配り、声を掛けてチームメートを鼓舞していました。

 最終的に仙台はJ2に降格し、ポイチさんもシーズン終了後に現役を引退しました。1年間でしたが、あれだけの経験をしてきた選手と一緒にプレーし、たくさんのことを学べたのは、キャリアの浅かった僕にとって大きかったです。

 ポイチさんは翌2004年にサンフレッチェのコーチになり、僕は2005年にサンフレッチェに移籍しました。その後、ポイチさんは年代別代表のコーチを務めた後、2007年途中からミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)の下でコーチに就任します。コーチ時代は監督のサポートに徹しながらも、言うべきことは言うという姿勢でした。僕がチームの戦い方に不満を抱えているときに「いまは我慢して、寿人がチームを引っ張らなければいけないぞ」と言われたことがあります。振り返ると、他のコーチが言いにくいであろうことを、ポイチさんが僕との関係において伝えてくれたのは、ありがたかったです。

 ただ、ポイチさんは2009年限りでサンフレッチェを退団し、アルビレックス新潟のヘッドコーチに就任しました。すごく寂しくて、荷物を片付けたポイチさんの車が吉田サッカー公園を離れていく光景は、いまも記憶から消えません。(後編に続く)

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◆森保一(もりやす はじめ)
1968年8月23日生、長崎県出身
ポジション・MF サンフレッチェ広島/1987年〜2001年 ※マツダ時代を含む
サンフレッチェの前身・マツダに加入し、中盤の主力に成長。1992年に日本代表に選出され、1993年のJリーグ開幕後も中心選手として活躍した。2003年の現役引退後は指導者となり、サンフレッチェの監督として2012年、2013年、2015年にJ1リーグ優勝。現在は日本代表監督。

◆佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し2012年にはMVPと得点王を獲得。2020年限りで現役引退。通算のJ1得点数は歴代2位。引退後は指導者・解説者として活動中。