11月20日に開幕したW杯カタール大会で、日本は優勝経験を持つドイツ・スペインを破り、『死の組』と呼ばれたグループEを首位で突破し世界に驚きを与えた。迎えた12月6日、決勝トーナメント第1戦目の相手は前回大会準優勝のクロアチア。前半で先制に成功するも後半に同点とされ、PK戦の末ベスト16に終わった。

 日本代表の指揮を執った森保 一監督は、サンフレッチェ広島でプロキャリアをスタートし、指導者としてもチームを連覇に導いている。

 ここでは、2012年に収録したインタビューを再編集してお届けする。10年前、サンフレッチェ広島で、初の監督に就任した森保 一が語っていたこととは。(記事中のデータはすべて2012年1月の取材当時のもの)

コーチを経て、2012年からサンフレッチェ広島の監督として指揮を執った森保。2018年からは日本代表コーチに就任した。

◆広島は自分を育ててくれた場所

— 遂に2012シーズンが始まりました。就任発表から時間も経ちましたが、改めて今のお気持ちをお聞かせ下さい。

森保 多くの人が愛しているサンフレッチェという歴史のあるクラブで監督をすることは、本当に重責だなと感じています。ただそれはこの話を引き受ける前から分かっていたことですからね。正式に就任を発表してからいろいろな人に声を掛けてもらい、改めて責任の重さを実感しています。

— 就任会見でサンフレッチェは森保監督にとっても特別なチームだと仰っていました。

森保 そうですね。就任会見や選手時代にも何度か言っていますけど、高校を卒業してサッカー選手として無名で半人前の僕を、選手、1人の人間として育ててくれたのが広島の土地とサンフレッチェですからね。仙台で現役を終えて広島で指導者のキャリアをスタートしましたし、このクラブがあったから今の自分があります。全てにおいて育ててもらったという思いは強いですね。

— クラブだけでなく広島という土地にも深い思い入れがあるのですね。

森保 マツダという会社の人、地域の人、アマチュアの指導者などたくさんの人から多くのことを学ばせてもらいましたからね。

◆サッカーは生き物

— 昨年、一昨年と新潟のヘッドコーチとして活躍されました。敵として戦ったサンフレッチェの印象はいかがでしたか?

森保 選手個々が状況に応じて臨機応変に対応してくるし、したたかに戦う手強い相手だと感じていました。しっかりと分析をしてストロングポイントとウィークポイントを突こうとしても、思い通りにはいきませんでしたね。

— 2年間の対戦成績もサンフレッチェの3勝1分と森保監督にとっては厳しい結果となりました。

森保 そうですね(苦笑)。僕が新潟にいる間に1つでもいいので勝ちたかったんですけど、叶わなかったですね。昨季も両チームにとって良い戦いができていたと思いますが、最後の最後に寿人(佐藤)とムジリという決定力のある選手にやられてしまいました。

— サンフレッチェでコーチをされていたときは、主に若い選手をサポートする立場でした。新潟ではヘッドコーチを務め、より1つの勝敗が持つ意味の重さを感じられたのではないですか?

森保 そうですね。戦況を観ながら監督と話をして試合を進めていくという意味では、新潟ではすごくいい勉強をさせてもらいました。やっぱりサッカーは生き物なんです。その時々の流れを瞬時に感じて有効な手を打たなければ結果はついてこないと強く感じました。

— 90分の試合の中には勝敗を分ける分岐点があるのですね。

森保 あると思いますね。これはベンチからはどうすることもできませんが、たった1つのやってはいけないプレー、または相手の隙を突いてやらなければいけないプレーをするかしないかで勝敗は分かれます。一瞬の判断や動き出しで流れが変わり、ゴールが生まれるんです。新潟での2年間でそういったことを改めて痛感しました。

— 森保監督は現役時代にボランチとして活躍されましたが、ボランチは正に試合の流れを読むポジションだと思います。

森保 そうですね。試合の流れを読みながら90分間どう戦い、バランスを取っていくかということは常に考えていました。自分がこれまで得てきた経験も伝えていければいいですね。

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