現役引退を決めたカープ選手のここまでの軌跡を振り返りながら、その野球人生に迫る広島アスリートマガジンの人気企画『プロジェクトC』。

 今回は、15年間の現役生活を終え、2022年限りでユニホームを脱ぐ決断を下したカープ・安部友裕が登場。“覇気”を代名詞に、25年ぶりのリーグ優勝、球団史上初の3連覇に大きく貢献した男が「プロの世界」を目指すきっかけとなった、中学ボーイズリーグ時代に迫っていく。

ボーイズリーグ「小倉バディーズ」時代の安部友裕(写真右)

◆恩師と出会いで、プロを意識するようになった中学時代

 中学に進学してからは、ボーイズリーグの“小倉バディーズ”に入部しました。この時、軟式野球から、硬式野球に変わったのですが、そちらも特に苦戦することはなく慣れることができたと記憶しています。

 中学になってからは土日だけの練習だったのですが、練習量が多く、朝から晩までという感じで、かなり厳しい練習を重ねていました。ただ、この頃からプロを意識するようにもなりました。というのも、当時の小倉バディーズの監督である本田正さんという方が大変熱心に僕の入部を口説いてくださり、「うちに絶対来てください。お前をプロに行かせる、絶対に行けるから」と言ってくださったのです。幼いながらにも、そう言ってもえらえることはうれしかったですし、それに影響されて、本当に野球に真剣に臨むようにもなりました。

 野球を始めた原点は、父親や兄の影響ではありますが、プロを意識するようになったことや、野球の考え方を教えてくださったという意味では、恩師である本田監督が大きく影響していると断言できます。

 そんな本田監督はボーイズチームの総監督であり、叱る時は怖い方ですが、とても愛情がある方で、人の上に立つべき方だと感じましたし、しっかりと人の心をつかんで、その上で厳しく叱れる、そんな方でした。僕自身もヤンチャな幼少期でしたが信頼でき、思春期にそういう指導者に出会えたということは、とてもありがたいことでした。

 本田監督からの指導の中で印象に残っていることは、もちろん野球に対しての指導もあるのですが、基本的に「先輩の動きを見ておけ」とおっしゃっていたことです。先輩の動きを見てどうするかを“自分で考える”ということに焦点を当てた教えであり、今の僕の主体性や自分で考える力はその頃培ったものだと言えるでしょう。それはプロに入っても同じで、僕は一軍二軍、先輩後輩関係なく全員のバッティングを必ず見るようにしていました。

 小倉バディーズは、全国や、世界大会にも出場するチームで、当時1学年に20名くらいの選手がいた記憶があります。中学のクラブチームでここまで部員がいるチームはなかなかなかったかと思います。僕の同期のエースは木谷良平(ヤクルト)で、木谷が投げた次の試合で僕が投げることもありましたが、この頃は基本的に1番か2番を打っていました。また、僕は元々右打ちだったのですが、中学2年の時に足を活かす目的で左打ちに変えました。ただそこから先、相当苦労することになりました。僕らは残念ながら全国大会に行くことはできませんでしたが、当時は、本田監督をなんとか全国に連れていきたいという思いがありました。今、大人になって振り返っても、やはり中学の頃が僕の野球に対する考え方の基礎であると思っています。

最終につづく

広島アスリートマガジン2月号は、本誌初登場!秋山翔吾 2023年の覚悟』。さまざまな角度から秋山選手の“覚悟”に迫りました。2015年以来の登場となる、前田健太選手インタビューにもご注目ください!