全世界がコロナ禍に揺れた2020年。プロスポーツも興行延期を余儀なくされ、人々の生活様式は大きく変化した。

 甲子園出場を目指して高校球児たちもまた、さまざまな制限を受ける日々の中で
目標を諦めることなく、白球を追い続けた。誰も経験したことのない状況下で彼らは何を得たのだろうか。

 高陽東高・野球部の3年間に迫った。

スタンドに吹奏楽部の演奏と観客が戻った2022年。高陽東と国泰寺の開幕戦は、マツダスタジアムで行われた。

入学式の一週間後に臨時休校。戦後初の『中止』が決まった夏

 2020年4月。

 高陽東高野球部で活躍した兄の背中を追って同高に入学した木村青空くんは、広島県が発出した緊急事態宣言で学校が臨時休校となった影響を受け、自宅待機を余儀なくされた。それは、入学式のわずか一週間後の出来事だった。

 小学生時代から野球一筋に取り組み、『高陽東の野球がしたい』という強い思いを抱いていた木村くんにとっては、戸惑いしかない高校生活の始まりだった。

「チームメートと顔を合わせる機会もなかったので、どんな人たちがいるのかも分からないという状況でした。自宅でできる練習も限られていて、夏の県予選大会も開催されるかどうかわかりませんでした。登校もできないので、野球部の活動以前に、高校生活そのものが不安でした」

 結局、野球部が初めて集合できたのは、6月に入ってからだった。先輩部員はもちろん、同級生ともほぼ初対面という状況。そんな中でも目前に迫った夏の代替大会に向け、チームは慌ただしく動き出した。

 2020年夏に開催を予定していた第102回・全国高校野球選手権大会は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、戦後初めての『中止』が決まっていた。甲子園を目指してきた3年生への救済策として、各地方の高校野球連盟が開催したのが代替大会である。

「1年生としては、大会に向けてモチベーションを上げていくのがすごく難しかったというのが正直な気持ちです。練習試合もできない状態だったので、追い詰められていくような感覚もありました」

木村くん自身、ケガの影響で練習すらできない期間があった。気持ちばかりが焦り、不安を覚えることもあったという。

「秋からは新チームが始動しましたが、当時の僕はベンチにも入れませんでした。チームとしても、実戦形式の練習といえば紅白戦がメインになり、それもなかなか開催できない状態が続く中で、他のチームメートたちも実戦感覚をつかむのが難しかったのではないかと思います」

 グラウンドも野球部専用というわけではない。他の部活動との兼ね合いもある。ただでさえコロナ禍で制限がかかる中、限られた中での練習に不安を感じた選手も多かった。野球部の碓氷直樹部長は、そんな選手の思いに寄り添うために、積極的なコミュニケーションを心がけた。グラウンドではもちろん、グラウンド外でも、できる限り野球部の雰囲気を伝えられるように声をかけ続けた。

「今は練習できていても、生徒に感染者が出たら、また練習ができなくなるかもしれない。内心、不安を抱えながら指導していました」

 指導者も選手も、互いに迷いや葛藤を抱えた中で迎えた2021年。2年生になった木村くんは、秋の新体制でキャプテンに就任する。

「感染者が出ると練習が制限されてしまうので、キャプテンとしてはとにかく気を配りました。感染拡大に配慮した上で、質の高い練習をするようにしていました」

 もともと1年生への指導も担当していたため、下級生とのコミュニケーションに関する不安はなかった。ただ、『高陽東の野球が分からない』という新入部員たちの気持ちが分かるだけに、キャプテンとして、木村くんも悩んでいた。

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