「常に攻める姿勢」は、塁上にいるときも最大限の警戒をされた尾形佳紀。

 走塁とは、当然脚力だけではありません。様々な場面における瞬時の判断力という要素も、実に大きな意味を占めているのです。  

 特に重要であり難しいのが、ランナー二塁でヒット1本でホームインできるかということです。私がいつも選手に言う時には、打った瞬間スタートが切れる2アウトは別として、ノーアウトの時は「より慎重に」。1アウトの時は「一応慎重に」という表現を使っています。

 ランナー二塁で最もやってはいけない事は、ライナーで飛び出してダブルプレーになってしまう事です。よってライナー性の打球の場合、内野手がジャンプして手を伸ばした高さを目安として、それより上ならスタート、下なら必ず塁へバックするのがセオリーです。

 またテキサス性の打球では、「走りながら」打球を確認することがポイントです。「どっちだろう」と思って足を止めて見てしまうと、まずホームへは還れません。

 走塁のもう一つの見せ場は、一塁ランナーが1ヒットで三塁を狙うケースです。スタートや打球の状況、外野手の対処により二塁を回るか止まるかの判断が難しく、それが走塁の醍醐味でもあります。二塁手前でわざとスピードを落として守備陣の油断を誘うフェイントも、時たま見られます。

 このように様々な局面に応じて瞬時のうちに判断して動かなければならないので、走塁はある意味打撃や守備以上に奥が深いのです。しかし走塁は打つ事、投げる事、守る事よりも華が少ないのも事実です。

 ただ走塁は「華」よりも「実」。チームに世界一の盗塁王がいても一人だけではさほど脅威にはなりませんが、まあまあ足の速い選手が3人〜5人レギュラーにいるとかなり脅威です。今年(2004年)の中日や、90年代に4度優勝したヤクルトがそういったチームでした。 

 現在コーチとしての指導方針を一言で表せば「徹底」。裏返せば「妥協無し」とも言えますが、そのためには「勝利への高い意識」を訴えていきたいです。

岡 義朗/おか よしあき

 1953年11月22日生。岡山県出身。岡山東商高から内野手として1972年ドラフト5位でカープに入団。76年から代走や外野守備固めとして一軍に定着し、79年には97試合に出場し初の日本一に貢献。80年から南海(現福岡ダイエー)に移籍し、81年には2本塁打するなどスタメンでも活躍。84年に阪神に移籍し85年引退。引退後はカープをはじめ阪神、年オリックスでコーチを務めた。

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