アメリカ、韓国、ベネズエラ、キューバ……。世界の野球強国と幾度もの熱戦を繰り広げてきた日本代表。日の丸を背負い、割れるほどの声援の中で、歴代のカープ戦士たちも国の威信と己のプライドをかけて戦った。
ここでは、日本代表として活躍した歴代カープ選手を振り返る。今回は、2004年・アテネ五輪で日本代表に選出された黒田博樹を紹介する。
◆世界に挑んだカープのエース・黒田博樹
自身初の開幕投手を務めた2003年。これまでエースとしてマウンドを守り続けた佐々岡真司に代わって、次代のエースとして大きな期待が寄せられていた黒田。開幕戦は9回を投げ7安打1失点の完投でチームを勝利に導き、エースへの階段を登り始めた。この年は13勝9敗、防御率3.11、チームは5位と下位に沈んだが、先発左腕の高橋建と共に投手陣をけん引し、2002年に続いての二桁勝利でシーズンの幕を下ろした。
その成績と実力が認められ、2004年8月に開幕したアテネ五輪の日本代表に選出。先発投手陣には全盛期の松坂大輔 (西武)や上原浩治(巨人)らもおり、黒田は中継ぎとしての役割を託された。本戦では台湾、オランダ、カナダの3試合で投げ2勝をマーク。メダル獲得に大きく貢献した。
黒田は本誌のインタビューの中で「シーズン中に全く別物の真剣勝負に臨むというのは初めてのことでしたから、精神的にも体力的にも正直疲れたというのが一番ですね」(2005年3月号「復権の象徴」より)と、コメントを残している。