2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を、広島アスリートマガジンの連載『エースの証言』で振り返っていく。

 今回は、2012年に大宮からサンフレッチェに移籍した、石原直樹にフォーカスする。

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広島時代、石原直樹(写真真ん中)とウォーミングアップをする佐藤寿人氏(写真右)(2014年撮影)

◆コミュニケーションの取りやすさが生み出した数々のゴール

 加入1年目は7得点でJ1初制覇に貢献した(石原)直樹は、2年目の2013年はJ1で自身初の2ケタとなる10得点を挙げます。最終節、アウェイでの鹿島戦で2ゴールを決めて2ケタに到達し、チームも逆転で連覇を達成したのですが、印象に残っているのが35分の先制点です。

 (髙萩)洋次郎を取り上げた連載でも紹介しましたが、洋次郎がボールを持ったところで僕がアクションを起こし、空けたスペースに走り込んだ直樹に洋次郎からパスが通って、直樹が仕上げをしました。あれこそ1トップ2シャドーの3人で『一緒につくったゴール』。あの時期は試合に向けての練習や試合中に、相手のウイークポイントなどについて3人で話し合うことが多く、直樹も自分の考えを積極的に発信してくれるので、コミュニケーションが取りやすかったです。

 直樹はもっと多くのゴールを決めたいと思っていたはずですが、チームのためにハードワークしながらチャンスをうかがい、要所で貴重なゴールを決める姿は頼もしかったです。目立つことは多くなくても、欠かせない存在でした。

 3連覇を目指した2014年は8位に終わりましたが、直樹は2年連続の2ケタとなる10得点を挙げ、この年を最後に浦和に移籍しました。いろいろ話をしていて、本人はすごく悩んでいましたが、最後にはサンフレッチェを離れる決断を下します。もちろん寂しかったですが、直樹が決めたことなら、仲間として変わらず応援すると伝えて送り出しました。

 浦和に行ってからも頻繁に連絡を取り合いました。移籍1年目に右ヒザに大ケガを負って長期離脱しましたが、よく戻ってきたと思います。僕が名古屋に移籍した2017年に、直樹は仙台に期限付き移籍して(翌年に完全移籍)、僕が仙台でもつけていた11番を背負っているんですよね。翌年、名古屋で対戦した時には会って久しぶりに話をしました。

 その後も、コロナ禍の前は頻繁に会っていました。一緒にプレーしたのは3年間だけなのに、その後も長い付き合いになっていて、10年間くらいチームメートだったような気もします。2021年限りで現役を引退し、昨年行われた引退セレモニーにはビデオメッセージを送りました。直樹は驚いていたそうなので、周りのスタッフが僕を適任だと考えてくれたのだと思います。直樹と過ごした時間が特別なものだと周囲も感じ取ってくれたのは、とてもうれしかったです。

 昨年はベルマーレアンバサダーとして活動していた直樹は、今年から湘南U-15のコーチを務めることになりました。サンフレッチェでの現役時代、直樹と一緒に指導者C級ライセンスを取得していて、引退後に何をするのか話していたことを思い出します。直樹のように、ハードワークしながらゴールを決める選手を育てていってほしいです。

 直樹は僕にとって、弟のような存在です。サンフレッチェでプレーしたのは3年間と短かったですが、素晴らしい時代を築いた立役者の一人として、ファン・サポーターのみなさんも直樹には感謝しているでしょう。一緒にサッカー、Jリーグを盛り上げていく仲間として、いつかサンフレッチェで一緒に仕事ができればと思っています。

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