『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

昨季は開幕スタメンにも名を連ね、3試合に出場し1ゴールをあげた鮎川。期待のFWの戦列復帰が待たれる。

◆4年目を迎える今シーズン、復帰に向けたリハビリに取り組む背番号『23』

 サッカーにおいて特定のポジションを指すものではない背番号『23』は、サンフレッチェでもさまざまなポジションの選手がつけている。だがあらためて歴史を振り返ると、クラブ史に名を残す選手も背負ってきた番号であることが分かる。

 固定背番号制が始まった1997年に初代23番となったのはDF影山貴志で、当時は大商学園高(大阪)から加入して2年目。1998年にサンフレッチェを退団して阪南大に進学し、2001年にセレッソ大阪で再びプロになるという珍しいキャリアを歩んだ。

 1998年のFW松永一慶、1999年のDF川島眞也を経て、2000年に23番をつけたのはDF駒野友一。サンフレッチェ広島ユースからトップチームに昇格した1年目だった。2007年限りでサンフレチェを離れた後、複数のクラブでのプレーを経て2022年限りで現役を引退。今年からサンフレッチェ広島サッカースクールのコーチを務めることになり、16年ぶりの古巣復帰を果たしている。

 2001年の23番はDFトゥーリオ。のちの田中マルクス闘莉王だ。渋谷幕張高(千葉)から加入1年目で、その年のJリーグ(当時まだJ2やJ3はなかった)開幕戦で交代出場してデビューし、いきなり初ゴールを決めた。2010年南アフリカ・ワールドカップでは前述の駒野とともに日本代表メンバーに選ばれ、ベスト16進出に貢献している。

 2002年と2003年にMF李漢宰、2004年にFW田中俊也がつけた後、2005年から2年間はMF青山敏弘が23番をつけた。言わずと知れたサンフレッチェのレジェンドだが、6番のイメージが強く、23番の印象は薄い。

 ただ、2005年は5月に左ヒザ前十字靭帯断裂の重傷を負って公式戦出場ゼロに終わったものの、懸命のリハビリを経て復活した2006年にリーグ戦デビューを果たしている。翌2007年に6番に変わり、現在まで活躍を続けていることを思えば、輝かしいキャリアの礎を築いた背番号と言えるだろう。

 2007年から2009年はMF遊佐克美、2010年はDF石川大徳、2011年から2013年はMF鮫島晃太がつけた23番は、2014年から2年間は空き番号となるも、2016年にDF吉野恭平がつけて3年ぶりに復活した。この年にJ1デビューを果たしたのち、シーズン途中に京都サンガF.C.に期限付き移籍。期限付き移籍期間を延長した2017年は空き番号となり、2018年に復帰した吉野が再び23番を背負った。

 2019年からはDF荒木隼人が背番号23をつけた。サンフレッチェ広島ユースから関西大を経て加入したプロ1年目で、シーズン途中に定位置をつかみ、出場機会はなかったが日本代表にも招集されている。翌年以降も定位置を守り続け、サンフレッチェの最終ラインに欠かせない存在となった。

 荒木が背番号を4番に変えた2021年以降、23番を背負っているのはFW鮎川峻だ。サンフレッチェ広島ユースから昇格1年目の2020年は27番だったが、ブラジル国籍のMFハイネルに頼まれて変更した。ハイネルが27番にこだわったのは、故郷の街の番号(通訳スタッフいわく「日本の電話の市外局番のようなもの」)で、街を背負って戦う決意が込められていた、というエピソードは以前このコラムでも紹介したが、鮎川は「27番にこだわりはなかったので」と快諾している。

 2021年に公式戦デビュー&プロ初得点、2022年はリーグ開幕スタメンを飾り、23番が良い流れをもたらしたかと思われた。だが同年3月に左足第五中足骨を骨折すると回復が遅れ、その後は復帰することなくシーズンを終えている。

 2023年も背番号23でプレーする鮎川は、復帰に向けてリハビリを進めている。瞬間的なスピードや相手の背後を取る動きなどの持ち味を発揮して、サンフレッチェの前線で輝きを放つ日を楽しみに待ちたい。

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