それぞれの想いや信念を胸に、プロ野球の世界で戦い抜いたカープ戦士たち。

 現役生活を終え、これまでカープOBが歩んできた、野球人生の軌跡を辿っていく広島アスリートマガジンの人気連載。今回は、現在カープで二軍外野守備走塁コーチを務める廣瀬純コーチが2017年にお届けした物語を振り返っていく。

2013年4月21日の巨人戦から26日の中日戦まで、15打席連続出塁の日本記録を達成した。

◆チームの若返り、引退の決断

 2013年は15打席連続出塁という日本記録を樹立できたシーズンでしたが、年間を通しての成績は決して良いものではありませんでした。それだけに2014年はとにかく一軍の枠に入るため競争を勝ち抜かなければという危機感を持っていました。

 この時は自分がベテランと呼ばれる年齢に位置している事を自覚していたので、1年ごとに数字にこだわっていかなければ、厳しい状況になってくるだろうと思っていました。

 しかし結果的に、この年を境に私の一軍試合出場数は激減していきます。今でも覚えているのは、私が2014年最後の一軍出場となった8月23日の対阪神戦です。

 この試合で代打として打席に立った私が無安打に終わった事と対照的に、当時2年目の鈴木誠也がヒットを放ち存在感を示していたのです。

 引退した今となっては"世代交代"という事実を目の当たりにしたという意味で『この試合が、自分の中での分岐点だったのかもしれない』という気がしています。

 そして2014年、2015年あたりから自分自身の体に変化を感じ始めていた事も事実です。

 2014年に一軍登録を抹消された時は体が重い感覚がありましたし、2015年に至ってはキャンプ前から腰の状態が悪く、朝体を起こすのも辛い状況でした。

 外野で球を捕球してもギックリ腰のような感覚を覚えましたし、打撃でも球を捉えたと思っても腰が抜けてしまうような感覚で、体に力を入れることができませんでした。

 ですが僕は諦めの悪い男でしたから、現役を引退すると決めるまではずっと『一軍で活躍したい』という思いを持ってました。

 自分としては精一杯頑張っていたとしても一軍に呼ばれずに苦しい思いをする事もありましたが、最後まで強い気持ちを持っていたからこそ、プロ野球選手として最後までもがく事ができましたし、あがく事ができたのだと思います。

 そして私は2016年9月に引退を決意しました。球団から「チームは若返りを図っているし、廣瀬君にとって来年は今年以上に厳しくなると思う」というお話を聞いた時に現役を引退する覚悟を決めました。

 妻からは「まだ野球を続けてもいいんだよ」という言葉をもらいましたが、自分の現状を考えて、勝負できる体ではないと判断し引退を決断したのです。