2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を、連載『エースの証言』で振り返っていく。

 今回は、2012年からのJ1連覇に主力として大きく貢献した髙萩洋次郎にフォーカスする。

前編はこちら

広島時代、ピッチ上で声を掛け合う佐藤寿人(左)と髙萩洋次郎(右)。中央は塩谷司。

◆選手として、もがく決断。栃木で、まだまだ活躍を

 2008年、サンフレッチェがJ2に降格したシーズンに(髙萩)洋次郎は定位置をつかみ、一緒に前線でプレーするようになります。僕が要求していたのは「常にボールを蹴ることができるようにしておいてくれ」ということでした。同じことをトシ(青山敏弘)にも言っていましたが、それができていれば、パスの選択肢が広がります。受け手の僕としては生命線なので、口酸っぱく伝えていました。

 洋次郎からも要求してくれました。僕がアクションを起こしてもパスが出てこなかったときに「ちょっと早過ぎます。もう少し我慢してほしい」と言われたことも。年齢やキャリアに関係なく、対等に言い合うことができる関係でした。

 慣れてくると僕の動きを、おとりに使われました。"寿人さんはマークされるでしょ。俺はその先をイメージしているから、こっちに出しますよ"みたい感じで、サッカーでよく使う表現だと、いやらしいプレーをしていました。出してくれれば決めるからおとりに使うなよ、と思ったこともありますが(笑)、逆に洋次郎の選択に「ああ、なるほど」と、うならされることは何度もありました。

 おとりに使われたパスで印象的なのは2013年のJ1最終節・鹿島戦。逆転でリーグ連覇を達成した試合の(石原)直樹の先制点が、まさにそうでした。僕が動き出したところで、逆サイドで動き出していた直樹に洋次郎からのパスが通りました。出し手と受け手、ファーストアクションなど、3人が『絵』を共有できたゴールでしたし、あの時期は練習でも、ああいったシーンが数多くありました。

 ほかに洋次郎のパスで記憶に残っているのは、2014年のルヴァンカップ準決勝、柏との第1戦です。この年の8月、僕はポイチさん(森保一監督)と起用法をめぐって衝突しましたが、この試合で洋次郎が僕の2ゴールをアシストしてくれて2ー0で勝ったんです。ゴールを決めるところまで、僕を"戻して"くれました。あの試合でもう一度ファイティングポーズを取れたことが、2015年の3回目のJ1優勝につながったと思います。

 洋次郎は、この2014年限りでサンフレッチェを離れました。いろいろ話をしたし、海外への思いも聞いていましたが、いざ離れるとなると寂しかったです。あの年の最終節、雪の仙台戦で洋次郎は決勝ゴールを決めました。改めて振り返ると、何とも美しい去り方でした。

 海外クラブでのプレーを経験してFC東京に移籍してからは、対戦相手として洋次郎のすごさを感じていました。8月で36歳になった昨季途中にJ2の栃木に期限付き移籍して、今季は完全移籍してプレーします。良い意味で選手として、もがく決断をしたのは活躍できる自信があるからでしょう。栃木の選手も一緒にプレーして、学ぶことがたくさんあるはずです。若い頃は「僕は現役にはこだわりません。潔くやめますよ」と言っていたんですけどね。あの頃に戻れるのなら「いやいや、かなり長く頑張ってるよ」と伝えてあげたいです(笑)。

 あの柏戦で信頼してパスを出してくれたように、洋次郎と僕には出し手と受け手の絆がありました。厳しいことも要求してきて、刺激を与えてくれる存在でした。僕のキャリアの中では数少ない、一緒にプレーできたファンタジスタです。違いをつくれる選手として、まだまだ活躍してくれることを期待しています!

広島アスリートマガジン4月号は、いよいよ始動した新井新監督が表紙を飾ります!広島のスポーツチームを率いる監督たちの哲学にもご注目ください!