11年の在任期間に、4度のリーグ優勝、3度の日本一。今もなお、名将と語り継がれる故・古葉竹識が語る監督論には、一貫した哲学が垣間見えた。2013年の本誌インタビューから、監督の在り方を再度見つめる。

常に選手の動向に目を向けることが必要だと語る古葉元監督

◆全体を見守り、目を離さないこと

『監督の仕事は何か?』というと、選手たちの動きをしっかりと見て、常に目を光らせていることだと思います。「あの場面で、守りのスタートが遅かった」、「あの打球判断で、三塁を陥れることができなかった」など、ゲーム中のことをいかに指摘できるかが重要です。

 当時は年間130試合でしたが、130試合あれば選手が疲れていることも当然あります。しかし、その疲れによって得点を許してしまったプレーを、監督は見逃す訳にはいかないのです。ですから監督は、試合が始まれば一球たりとも球から目を離してはならない。これが一番大事なことだと私は思います。

 私が監督時代「古葉さんはどうしてベンチの隅っこに立っているのですか?」とよく聞かれました。そんなとき「球場に行ったときに、一度あの位置からグラウンドを見てください」と言っていました。何故かと言うと、あの位置は投手の投げるストレート、スライダー、シュートなどの球種、打者の打球、野手の動きなど何でも見ることができたからなのです。

 現在カープは本拠地がマツダスタジアムとなって、昔と球場の形が違います。ベンチの真ん中あたりでゲームを見ている監督もいますが、その辺をしっかり見られているかどうかだと思います。監督の試合に対する姿勢というものも、チームの成績につながってくるものだと私は思います。

 私が監督時代の選手たちが、よく「ベンチに帰ってくると監督がうるさかった」と言っているようですが、それは私が絶対に球から目を離していないからこそ指摘できたのです。

 また選手たちに『手を出した、足を出した』と、鉄拳制裁もたまにありました。私がそのような行動に出たのは、お金を払って球場に来ていただいているファンの方たちが納得するような野球を見せるためだからです。

 マツダスタジアムになって、あれだけのファンの方たちが球場に足を運んでくれています。でもやはりファンのみなさんは『勝つ野球』を見ようと思って、球場に来ているのです。我々の頃は負けているとお客さんに来てもらえませんでした。

 しかし今は、球場に魅力を感じて足を運んでくださるお客さんが大勢いらっしゃいます。たくさんのファンの前で野球ができるというのは、本当に幸せなことなのです。ですから監督もファンのことを一番に考え、もっともっと選手に厳しく接して、選手に対して目を光らせ、選手にもっと何でも言えるように頑張ってほしいですね。

 勝ち負けの責任は選手・コーチではなく、全て監督にあるのですから。そしてファンの方たちは、カープが勝つということを一番の楽しみにしているのです。OBとしては良い野球をしてもらい、ファンのみなさまに優勝を見せることができるようにしてほしいですね。

 そして私には一つ願いがあります。監督時代、1979年、1980年、1984年と日本一になることができたのですが、広島でパレードをさせていただくことができなかったのです。ですから、カープが日本一になってパレードをしてもらいたいし、その中に参加させていただきたいですね。

古葉竹識/こば・たけし

1936年4月22日生、熊本県出身。1958年にカープに入団すると、1年目からショートのレギュラーに定着。1963年には長嶋茂雄と激しい首位打者争いを繰り広げ、打率.339をマーク。また2度の盗塁王を獲得するなど俊足好打の内野手として活躍した。引退後、1974年にコーチとしてカープに復帰すると、1975年にルーツ監督の後を継いで5月に監督に就任。その後快進撃を見せ、球団創設26年目の初優勝を果たした。以後も1985年まで指揮を取り、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた。1999年に野球殿堂入り。

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