2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を、広島アスリートマガジンの連載『エースの証言』で振り返っていく。

 今回は2011年から2019年までサンフレッチェ広島でプレーし、3度のリーグ優勝を支えたDF・水本裕貴をフォーカスする。

 前編はこちら。

2023年2月(新潟戦)で、現役引退後初めてエディオンスタジアム広島のピッチに立った水本裕貴

◆若手に良い影響を与え、大きなものを残した

 サンフレッチェに来てからのミズ(水本裕貴)は選手として、より進化した姿を見せるようになりました。加入1年目の監督だったミシャ(ペトロヴィッチ監督)のスタイルでは、DFも守るだけでなく、攻撃時には高いポジションを取るなど、幅広い動きを求められます。難しさもあったと思いますが、ミズは柔軟に対応し、攻撃の質も高くなっていきました。

 2012年に監督がポイチさん(森保 一)に代わってからも、ミズは進化を続けました。2013年の天皇杯の甲府戦での僕のゴールは、ミズの縦パスから決めたものです。欲しいタイミングで、欲しい場所にパスを出してくれるようになり、攻撃面でも貢献してくれました。

 4歳下のミズとは広島での自宅が近所だったこともあり、加入当初からプライベートでも家族ぐるみで食事に出かけたりしました。安室奈美恵さんのファンという共通点もあったので、マス(増田卓也)と(浅野)拓磨も一緒に広島でのライブを見に行ったこともあります。

 面倒見が良いので、後輩からも慕われていました。ミズの誕生日に何人かでお祝いしようという話になり、サプライズパーティーを開いたことがあります。食事をしようと誘って、来てみたら若手たちも会場にいるという形で、一緒にお祝いしました。面倒見が良いだけでなく、プレーでも若手に良い影響を与えていました。厳しいことを言うこともありましたが、言葉だけでなく、特に拓磨など攻撃の選手にとっては、練習でミズと対峙することが大いに勉強になったはずです。それではダメだよとピッチ上で見せることで、後輩の成長を促していました。

 2008年の北京五輪では、Uー23日本代表のキャプテンを務めました。強烈なリーダーシップを発揮するタイプではないけれど、静かに力強くチームを引っ張るキャプテンシーがありました。2012年からの4年間で3回のJ1リーグ優勝は、ミズがサンフレッチェに来ていなければ成し遂げることができなかったでしょう。あの頃はピンチでも、ミズがいるエリアなら『大丈夫だ』という思いで見ていましたね。守備に加えて攻撃、さらに後輩の成長にも貢献したのですから、数シーズンにわたるスパンでクラブに大きなものを残してくれました。

 僕が2016年限りでサンフレッチェを退団し、ミズが2019年途中に期限付き移籍してからも、連絡を取り合い、食事に出かけたりしました。その後も移籍するときは必ず連絡をくれて、今年1月に現役引退を発表したときも、昨年末に報告を受けています。

 セカンドキャリアの第一歩は、横浜FCのスクールコーチでした。現役時代にプレーしたことがないクラブで、指導者としてスタートするのは珍しいケースですが、あれだけ面倒見の良いミズのことですから、スクールの子どもたちにも愛情を持って接しているはずです。もともと2013年頃に、ミズと一緒に受講して指導者C級ライセンスを取得しています。当時セカンドキャリアについても話していて、ミズは指導者を目指すのではないかと感じていました。また一緒にサッカー界で、サンフレッチェで仕事ができることになったら、こんなにうれしいことはありません。

 ミズは僕にとって安心感を与えてくれる存在であると同時に、とても心強い味方でした。出会ったときは対戦していて最も嫌な敵だったのに、味方になってくれて、一緒に多くのタイトルを獲得できたことは素晴らしい思い出です。ミズが引退してからは一度も会っていないので、近いうちに再会し、サンフレッチェ時代や今後のことなど、いろいろ話したいと思っています。

広島アスリートマガジン5月号は、「まだ見たい!もっと見たい!」勝利を知る経験者たちの魅力をお届け!カープ3連覇を支えた投打の主力たちの現在地に迫ります。