2023シーズンは機動力野球の復活を掲げ、盗塁だけでなく走塁技術やそれにそれにともなうテクニックの向上をチーム全体で目指すカープ。機動力を高めることは相手投手の心理を揺さぶることにもなり、結果として得点力のUPはもとより、得点圏打率の向上にもつながってくる。そんな機動力のなかでも、今回は『盗塁』に特化した過去の記事をお届けしよう(2021年の掲載記事を再編集)。
◆ダイヤモンドを駆け巡った背番号4
カープの昭和黄金期に、生涯『代走』として生きた今井譲二という足のスペシャリストが存在した。1978〜1989年までのプロ11年間で263試合に出場したが、打席数はわずかに31。通算で62盗塁を決めていることからも、いかに代走での出場が多かったかが分かる。
ちなみに1987年には36試合に出場しながら打席が0という珍記録も残した。この数字が示すように、一芸に秀でた本物のスペシャリストだった。
機動力野球という伝統はその後も脈々と受け継がれ、1989年にはヤクルトの笘篠賢治と正田耕三が最後まで熾烈な盗塁王争いを繰り広げた。笘篠が32個、正田が28個で迎えた10月15日の最終戦(対中日戦)で、カープの背番号『4』がダイヤモンドを幾度となく駆け巡った。
この試合で4打数3安打、相手のエラーも相まって4度出塁を果たすと、その全てで盗塁を敢行。二盗を4回、さらに三盗を2回と1試合で計6個の盗塁を成功させ、すでに全日程を終えていた笘篠を抜き、正田が初の盗塁王に輝いた。1試合6盗塁は、中日の山崎善平(1952年6月3日に記録)と並ぶプロ野球タイ記録である。
1953年に金山次郎がチームで初めて盗塁王に輝いたのを皮切りに、その後も大下剛史、衣笠祥雄、正田、梵英心、丸佳浩、田中広輔(各1回)、古葉竹識(2回)、髙橋慶彦、野村謙二郎、緒方孝市(各3回)が獲得。機動力野球はカープにとっては、今もなお大きな武器でもあるだけに、最大限に機動力を駆使した戦いをもっと見てみたい。