◆高校3年の夏に149キロをマーク

― 当時はどのぐらいの球速を計測していたのですか?
「2年の夏に一気に球速が上がって、147キロをマークしました。1年の秋と比べると一気に10キロ近く上がりました。最終的に3年の夏に149キロを投げることができました」

― 高校時代の一番の思い出はなんですか?
「2年の夏の大会の準決勝で0回2/3、11失点、5四死球という投球をしてしまったことですね。あまりにもひどい思い出として印象に残っていますし、自分の投手人生のどん底だったのかなと思います(苦笑)。実はその試合で147キロが出たのですが、結果的には打ち込まれまてしまいました。そのあと打ち込まれることが怖くて投げれない時期も正直ありました。そこまで順調に伸びていた球速もコントロールを意識しすぎて、2年の秋には143キロという数字で終わってしまったんです」

― そこから立ち直ったきっかけはなんだったのですか?
「周りの人からのアドバイスによって、自分の持ち味を改めて見つめ直したことです。僕の場合、直球の力がなかったら制球も変化球もそこまで良いわけではないですし、良いところを見せれないなと改めて考えました。そこからは切り替えて3年の春に向けて体をもう一度つくり直しました」

― 壁を乗り越えた瞬間ということですか?
「あの経験があったから今の自分があるのだと思います。準決勝で負けずにそのまま甲子園にいっていたら自分はどうなっていたんだろうと時々思います。もしかしたら、そこで満足していたのかもしれませんし、投げ過ぎで故障していたかもしれません。結局は腕が振れない時期があったからこそ、腕を振ることの大事さも分かるようになったのだと思います。僕は全てのことをなるべくポジティブに考えるようにしています。悪いことが起こっても、これが起こってなかったらさらにもっと悪いことが起こるかもしれないと考えるようにしています」

― カープという球団に入団したことについてどのように感じていますか?
「周囲のメディアでは阪神、しかも4位以降の指名が濃厚だというお話だったぶん、びっくりしました。また、カープから3位という順位で指名していただいたことに本当にうれしく思います」