カープ投手陣は現在、スコット、今村猛が二軍降格になるなどリリーフ陣が安定しない状況が続いている。そんな中、キャンプから好調を維持しているのが、プロ6年目を迎える塹江敦哉だ。

 早くから将来を嘱望されていたものの、これまでは課題の制球力が安定せず殻を破るまでには至っていなかった。ところが今季は現時点で5試合に登板し、4回2/3を投げて防御率0.00をキープしている。ここではブレイクが期待される左腕の、ルーキー時代のインタビューをお届けする。
(2015年9月号掲載)

7月6日現在、5試合連続無失点と好投を続ける塹江敦哉投手。

― プロ入りして4カ月が経ちましたが生活には慣れましたか?
「試合にはほとんど出ていませんが、だいぶ慣れてきました。野球については想像通りですが、野球以外の時間でもたくさん勉強させてもらっています。先輩から社会人としてのマナーなどいろいろ教えていただいているので、社会人としての自覚も身についています。いろいろ失敗もありますがなるべく自分から気づいたり、周りをみて率先して行動するということが野球に繋がる部分もあると思うので、日々意識しながら過ごしています。年の近い(中村)祐太さんもそうですが、(中村)恭平さんや池ノ内(亮介)さんもいろいろ教えてくれます」

― 野球を始めたきかっけを教えてください。
「小学校3年のときに、屋島源平ウイングスというクラブチームに入りました。当時は外野手で打撃が好きでした。投手は小学校5年のときに初めて投げましたが、エースではありませんでしたね」

― プロ野球選手を目指されたのはいつだったのですか?
「野球を始めたときからずっとプロ野球選手になりたいと思っていましたし、なぜかわかりませんが、努力さえ続けていればなれると思っていました。昔は背が小さい方だったので周囲も親も『何を言ってるんだ』という感じでしたけど、どこか諦めきれない自分がいたんです。中学校のときもエースではなかったんですが、“プロ野球選手になれる”という根拠のない自信だけはありました」

― 実際にエースとして試合に出るようになったのはいつ頃からですか?
「1番をもらったのは、高校1年の秋からです。中学時代の球速は120キロ出るかでないか、ぐらいだったのですが、身長も伸び、球も硬球に変わったこともあってか、高校入学時に135キロが出たんです。中高一貫校ということもあり、中3の夏から高校の練習に入り、高校のコーチにつきっきりで指導していただいたことも関係していると思います」

― 高校時代はどんな選手だったのですか?
「入学して4月から投手として使っていただきました。当時は打撃も良かったので、代打や投手として出ない日は野手として出ていました。夏の大会もベンチに入らせてもらって、5割ぐらい打っていたんですよ。まぁセンター前ばっかりだったんですけどね(苦笑)。高校入学のときに夏の大会ではベンチに入りたいと思っていたので、良かったなと思います」