2005年から12年間をサンフレッチェ広島で過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着た数々のチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を振り返っていく連載企画。

 今回は、2009年から2013年まで広島でプレーした、中島浩司との思い出を振り返る。(全2回・後編)

ともにリーグ初優勝に大きく貢献した中島浩司氏と佐藤寿人氏 (写真は佐藤氏提供)

◆短い出場時間で貴重な働き。大きなものをクラブに残す

 2012年にポイチさん(森保一)がサンフレッチェの監督になると、ナカジさんは先発での起用は少なくなりましたが、常に控えに入っていました。この年の試合で忘れられないのは7月のJ1第17節・磐田戦です。

 前半にミカ(ミキッチ)が負傷交代し、71分にはトシ(青山敏弘)も負傷して、交代で入ってきたのがナカジさんでした。0ー0の状況でアクシデントが重なる嫌な雰囲気でしたが、ナカジさんが76分に先制点を決めたのです。僕が縦パスを入れて走り込み、(石原)直樹を経由して戻ってきたボールをヒールパスでつなぎ、最後はナカジさんが左足のアウトサイドで蹴り込んでゴール。試合の流れをワンプレーで変え、2ー0の勝利に貢献しました。

 この年のリーグ戦でナカジさんは2試合、88分間しか出場していませんが、ここぞという場面でチームを救いました。以前にも本誌の連載で記しましたが、この年のJ1初優勝につながったビッグプレーです。ナカジさんの、「控えになっても準備を怠らない」という姿勢が、最高の結果に結びついたのだと思います。

 時を経て2015年、同じように先発から控えになっていた山岸智が、10月の川崎F戦で試合終了間際に交代出場し、勝利に導くゴールを決めました。その後のセカンドステージ優勝と、3回目のJ1優勝につながった試合です。あの時ナカジさんがゴールを決めていなかったら、初優勝も、この年の3回目の優勝もなかったでしょう。とても大きなものをサンフレッチェに残してくれました。

 2013年、ナカジさんが現役引退を発表して迎えたリーグ最終節の鹿島戦も忘れられません。2ー0とリードして迎えた試合終盤、優勝を争っていた横浜FMが負けているという情報が入り、交代で退いていた僕や他の選手は「え、じゃあ優勝?」とフワフワしていました。

 一方でナカジさんのラストゲームなのに、なかなかポイチさんから声が掛からない。「忘れてないよね?」と心配したり、ナカジさんに「ウォーミングアップはいいから、ポイチさんの横にいて!」と言ったりして、良い意味で優勝争いの緊張感はありませんでした(笑)。

 後半アディショナルタイムに途中出場したナカジさんは、ピッチ上で優勝の瞬間を迎えました。近くで見ていて『こんな去り際ができたら最高だろうな』と、うらやましく思ったものです。

 2014年以降も広島を拠点に活動しているナカジさんには、僕も現役時代にセカンドキャリアのことなどを教えてもらいました。それ以前から、お互い仙台にゆかりがあるので、東日本大震災の後には復興支援で一緒に被災地へ行ったこともありました。

 ナカジさんは偉大な先輩ですが、自分のプレーやキャリアで周りを力強く引っ張るというよりは、一つひとつの言葉に重みのある先輩でした。僕自身もそうでしたが、ナカジさんのキャリアも決して順風満帆ではありませんでした。それでも、契約満了になった後も違うクラブで必要とされてきて、より重みのある実体験で多くの選手に影響を与えました。

 そして、今年9月にサンフレッチェユースに所属しているナカジさんの次男・洋太朗が、高校2年生でプロ契約を締結しました。以前に解説を担当したUー15日本代表の試合に出場していて、「子どもの頃から見ていた洋太朗が、こんなに大きく、たくましくなったのか」と驚いたのですが、さらに成長を遂げ、ついにサンフレッチェでプロになったのです。

 しかも背番号は現役時代のお父さんと同じ35。子どもの頃から発揮していた父親譲りのセンスで、どんなサンフレッチェの未来をつくってくれるのか。夢が広がりますし、サンフレッチェの試合を見る楽しみが、また一つ増えました。