2005年から12年間をサンフレッチェ広島で過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着た数々のチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を振り返っていく連載企画。

 今回は、 2010〜2015年に広島でプレーした、山岸智との思い出を振り返る。 (全2回・前編)

佐藤寿人氏とともに、広島で3度の優勝を経験した山岸智。

◆ユースで組んだ2トップ。プロ入り後はサイドで起用されて飛躍

 ヤマは2歳年下で、ジェフ市原(現千葉)のジュニアユースとユースの後輩です。ジュニアユース時代は一緒にプレーすることはなかったですが、ユースになるとヤマは1年生からレギュラーで、僕と1年間、2トップを組んでいました。

 高校1年生なのに大人のような体つきで、小柄な僕と一緒だと、どちらが3年生なのか分からないくらい(笑)。とはいえ、体の大きさを活かすプレーをするのではなく、技術もしっかりしていました。僕はトップチームに昇格してからは、ユースの後輩に使い古しのサッカーシューズをプレゼントしていたのですが、ヤマの足の大きさに合うものは別の選手に頼んで譲ってもらっていました。

 ヤマがトップチームに昇格してプロになった2002年、僕はC大阪に期限付き移籍したのですが、個人的にはヤマのことが心配でした。ユースではFW以外のポジションでも質の高いプレーを見せていましたが、だからこそ、『プロでどう活躍するのか』が見えにくい印象を持っていたのです。

 しかし、ヤマがプロ2年目の年に市原の監督に就任したイビチャ・オシム監督にウイングなどサイドで起用されると、彼の能力が開花しました。サッカーIQが高く、周りの状況を見ながら、味方がいつ、どこに走るのかを判断してパスを受けるのがうまい。躍進を遂げた市原に欠かせない存在となり、2005年と2006年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)連覇にも貢献します。

 2006年には日本代表に選ばれて、デビュー戦となった10月のガーナ戦ではヤマが3トップの左ウイング、僕が右ウイングで先発しました。同じチームでプレーしたのはユース時代以来です。ゴールにはなりませんでしたが、僕のクロスにヤマが合わせてシュートを打ったシーンがあり、その後も日本代表として2007年のアジアカップに一緒に出場しました。

(後編に続く)

山岸 智(やまぎし・さとる)
1983年5月3日生、千葉県出身
ポジション・MF
サンフレッチェ広島/2010年〜2015年

 ジェフ市原(現千葉)ジュニアユース、ユースを経て2002年にトップチーム昇格。2003年から出場機会を増やし、2006年には日本代表デビューも果たした。川崎Fを経て2010年にサンフレッチェに加入し、3回のJ1優勝に貢献。大分などでプレーしたのち、2020年限りで現役を引退した。