2005年から12年間をサンフレッチェ広島で過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着た数々のチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を振り返っていく連載企画。

 今回は、 2012〜2021年に広島でプレーした、増田卓也との思い出を振り返る。 (全2回・前編)

地元・広島出身。ファン・ソッコ、イ・デホンらと共に2012年にサンフレッチェに加入した。

 マスは地元の広島皆実高でプレーしていたので、その存在は、当時から知っていました。初めて会ったのは2008年か2009年、僕は日本代表、マスは流通経済大で、練習試合で対戦したピッチ上です。ただ……プレーの合間に「増田くんだよね、広島出身でしょ」と話しかけたのに、何も答えてくれないんです。ずいぶん愛想が悪いな、イメージと違うぞと思い、正直、第一印象はあまり良くありませんでした(笑)。

 一方でGKとしての能力は、非常に高かったです。セービングが安定しているし、コーチングで周りを動かすこともできる。それに、足元の技術がしっかりしていました。当時のサンフレッチェはミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)が指揮を執り、GKも足でボールを扱う技術が求められるサッカーをしていて、その目線で見ても優れたものを持っていると感じたことを覚えています。

 2012年にサンフレッチェに加入してきて、チームメートになりました。当時は周ちゃん(西川周作)が正GKで、リーグ戦出場の機会はめぐってきませんでしたが、練習でのパフォーマンスを見ると、日を追うごとに成長しているのが分かり、居残りのシュート練習でGKをしてくれることも多かったです。人の話に耳を傾けることができるので、いろいろなことを貪欲に吸収していました。

 とてもピュアで、先輩にかわいがられるタイプでした。特にミズ(水本裕貴)がよく面倒を見ていて、翌年に加入した(浅野)拓磨もその輪に加わり、僕も含めた4人で安室奈美恵さんのライブを見に行ったこともあります。

 マスのことを語る上で忘れられないのは、2013年5月6日の大宮戦です。前の試合で周ちゃんが脳震とうを起こしたため、マスが先発することになりました。彼にとってはJリーグデビュー戦でしたが、何の不安もありませんでした。「思い切って自分のプレーをすれば大丈夫」と伝えて、僕だけでなく、みんな同じような声を掛けていたと思います。ずっと準備してきたマスを、全員が信頼していました。

 しかし、相手選手と頭同士が激しくぶつかる接触プレーがあり、そのままピッチに倒れ込んでしまいました。ピッチ内にまで救急車が入ってきたのは、あとにも先にも経験がありません。そのまま緊急搬送されましたが、試合後すぐに病院へ行くと大事には至っておらず、本当にホッとしました。防ぎようのないアクシデントとはいえ、どのポジションよりもGKは体を張ってプレーするのだと、改めて認識した出来事です。

◆増田卓也

1989年6月29日生、広島県出身
ポジション・GK
サンフレッチェ広島/2012〜2016年、2020〜2021年
広島皆実高、流通経済大を経て2012年にサンフレッチェに加入。2013年にJリーグデビューを飾るも、定位置確保には至らなかった。2017年からの長崎、町田への期限付き移籍を経て、2020年にサンフレッチェに復帰。2022年に熊本に完全移籍し、2023年限りで現役を引退した。