2005年から12年間をサンフレッチェ広島で過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着た数々のチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を振り返っていく連載企画。

 今回は、 2012〜2021年に広島でプレーした、増田卓也との思い出を振り返る。 (全2回・後編)

西日本豪雨後に開催された、佐藤氏主催のサッカー教室に参加する増田卓也(写真は佐藤氏提供)

◆試合前のコイントスで、不思議な感じがした。

 周ちゃん(西川周作)が移籍した2014年に(林)卓人が加入し、マスは引き続き、日本を代表するGKとポジションを争うことになります。この年は卓人が戦列を離れたときにリーグ戦3試合に出場しましたが、定位置を奪うことはできませんでした。正GKと第2GKの実力差は最小限であるべきだと思いますが、大きな壁に阻まれて一番手になれないことに、マスも葛藤があっただろうと思います。それでも、弱気な言葉は聞いたことがありません。常に自分に矢印を向けて、やるべきことに向き合って練習していました。

 出場できない選手が、ピッチに立つ選手の力を引き出すという側面もあります。周ちゃんや卓人も、マスが控えているという安心感だけでなく、少しでも出来が悪ければ、マスに取って代わられるという緊張感を持っていたはずです。

 それが結果に表れたのが2015年、3回目のJ1優勝を果たしたシーズンでした。僕がサンフレッチェに在籍した12年間でチーム内競争が最も激しく、紅白戦のレベルが非常に高かった。そういうときのチームは強いんです。実際、3回の優勝の中で勝ち点や得点は最も多く、その強さを象徴する一人がマスでした。

 2017年、僕が名古屋に完全移籍した年に、マスも長崎に期限付き移籍しました。どちらもJ2だったので、僕は名古屋のキャプテン、マスは長崎のゲームキャプテンとして試合前のコイントスで一緒になったことがあり、不思議な感じがしたものです。この年は名古屋も長崎もJ1に昇格し、マスは全42試合にフル出場して自分の実力を証明しました。

 2018年に広島などで西日本豪雨が発生し、被災者支援のサッカー教室を開催する際に声を掛けると、駆けつけてくれました。マスが子どもたちに向ける優しい笑顔を見ていると、こちらも笑顔になり、マスの人柄が表れていました。

 2023年は僕が仕事で熊本に行くことが多く、そのたびにマスとは必ず会っていて、現役を引退することは直接、聞かされました。「選手でいられるのが一番良いと思うよ」と言いましたが、それまでに思いも聞いていたので、自分なりに考えて出した結論だったでしょう。

 引退すると聞いて、日本代表の練習試合で声を掛けたときのことを、マスに初めて話しました。すると「覚えてくれていたんですね」と。マスも覚えているそうですが、あまりにも緊張していて、何も答えられなかったそうです(笑)。

 現役時代のマスは、いろいろな意味で周りを支える立場にいることが多かったと思います。周りを輝かせることで自分自身の価値を高めていける存在で、そこに増田卓也という人間の魅力があるのは、引退しても変わらないと思います。サンフレッチェのために、という思いも強いので、選手とは違う形で貢献するときも来るでしょうし、僕も一緒に何かできることがあれば、とてもうれしいです。

◆増田卓也

1989年6月29日生、広島県出身
ポジション・GK
サンフレッチェ広島/2012〜2016年、2020〜2021年
広島皆実高、流通経済大を経て2012年にサンフレッチェに加入。2013年にJリーグデビューを飾るも、定位置確保には至らなかった。2017年からの長崎、町田への期限付き移籍を経て、2020年にサンフレッチェに復帰。2022年に熊本に完全移籍し、2023年限りで現役を引退した。