悲願の新スタジアムでの開幕戦を勝利で飾ったサンフレッチェ広島。スキッベ監督のもとで迎える3シーズン目、もちろん目指すは2015年以来の『J1制覇』だ。

 ここでは、過去3度のJ1リーグ優勝に大きく貢献した佐藤寿人氏の言葉で、2013年のサンフレッチェ広島を振り返る。前年王者として戦ったシーズン、選手たちが抱いていた思いとは。(「広島アスリートマガジン」2021年収録記事を再編集)

キャプテン、エースとしてサンフレッチェをけん引した佐藤寿人氏。

挑戦者として臨んだ2013年シーズン

 2012年にJ1リーグで優勝し、念願の初タイトルを獲得することができました。とはいえ2013年も、自分たちがディフェンディングチャンピオンという意識はありませんでした。

 高いレベルの勝点で優勝争いをしたわけではなかったので、もう一度、挑戦者として臨まなければいけないという気持ちは僕だけでなく、みんなが持っていたと思います。

 リーグ戦では開幕から3試合ノーゴール。前年のリーグ優勝と得点王という結果を受けて、より相手に研究されていると感じました。僕だけでなく、配球役のチバちゃん(千葉和彦)やトシ(青山敏弘)へのマークが、かなり厳しくなっていました。

 打開するための工夫もしましたが、やはり難しかった。縦のパスコースを切られることが多く、攻撃のスイッチが入りづらくなっていました。

 ただ、もともとリーグ開幕前から、チャンスの数は増えないだろうと思っていました。ACL(AFCチャンピオンズリーグ)も並行して戦うため、選手を入れ替えながらの戦いが予想されていたからです。

 そうなると、僕としては、ワンチャンスで得点して試合の流れを引き寄せたり、勝負どころでゴールをこじ開けなければいけない。最終的には17得点でしたが、簡単なシーズンではありませんでした。

 3位で迎えた第32節で、セレッソ大阪に敗れ、首位の横浜F・マリノスとの勝点差が5に広がりました。勝点1差の2位にも浦和レッズがいる。さすがに優勝は無理だと思い、とにかく残り2試合に勝ち、良い形でシーズンを締めくくることを意識しました。

 次節のホーム最終戦で勝って2位に浮上しF・マリノスが負けて勝点差は2に縮まりましたが、それでも届かないだろうと思っていました。

(続く)

●プロフィール
佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。市原(現千葉)ユースから2000年にトップ昇格。C大阪、仙台を経て、2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し、2012年にはMVPと得点王を獲得した。2017年に名古屋に移籍し2019年からは千葉でプレー。2020年限りで現役を引退。現在は指導者・解説者として活動している。