2005年から12年間をサンフレッチェ広島で過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着た数々のチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔を振り返っていく連載企画。
今回は、2006年から2007年まで広島でプレーした、ブラジル人FW・ウェズレイとの思い出を振り返る。(全2回・前編)
◆心優しく穏やか。最高のパートナーだったウェズレイ
名古屋時代のウェズレイのプレーは、とにかく衝撃的でした。相手選手2人をなぎ倒す突破から決めたり、強烈なミドルシュートをたたき込んだり。周囲との連係も含めてゴールパターンが多彩で、僕が仙台時代に対戦したときも、すごいゴールを決められて敗れています。
ウェズレイがサンフレッチェに加入すると聞いたときは『本当に来るの?』と驚きました。僕が加入1年目の2005年にJ1で18得点を決めたときの2トップの相棒がガウボンでした。彼が退団し、どうなるかと思っていたところで、翌年にウェズレイが加入。チームの得点力は間違いなくアップすると感じました。
一緒に練習してみると、過去にチームメートだった外国籍選手よりも、すべてにおいて頭一つ抜けていました。パスの受け方、体の強さだけでなく、シュートのパワー、テクニック、アイデアも。プロになった当初はボランチだったそうで、パスもうまく、僕の動き出しを見てくれる視野の広さもありました。
2006年4月に34歳になるベテランで、あれだけの実績があっても、年齢やキャリアに関係なく日本人選手のことを尊重してくれて、若手の面倒見も良かったです。愛称はピチブー(猛犬)ですが、怖いのは風貌だけ(笑)。心優しく、穏やかで、みんなに愛されていました。
開幕戦でウェズレイが2得点、僕が1得点と、いきなり2トップが結果を出しました。ウェズレイは弓で矢を放つゴールパフォーマンスを披露しましたが、矢を放つときに弓を持つ左手も広げてしまうので、周りは「あれだと弓を放てないよね」と笑っていましたね(笑)。
ただ、3得点しても3ー4で敗れた開幕戦以降、僕とウェズレイがゴールを決めても勝てない試合が続きました。この年は6月にドイツ・ワールドカップ(W杯)を控えていて、J開幕前に僕とシモさん(下田崇)、コマ(駒野友一)が日本代表の活動で長く不在でした。新加入のウェズレイ、戸田(和幸)さんも含めると、当初の先発11人のうち5人が新しい戦い方に慣れないまま、開幕していた影響も大きかったと思います。
第8節終了後に小野剛監督が退任し、望月一頼GKコーチが監督代行を務めた時期を経て、W杯によるリーグ中断期間中にミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)が新監督に就任しました。これがチームにとっても、僕とウェズレイにとっても大きな転機となります