『10』に代表されるように、サッカー界においても度々話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

背番号『7』のイメージが強い森﨑浩司氏だが、実は1年間だけ『37』を背負っていた時代もあった。

◆今もクラブを支える広島のレジェンドが、ユース時代に背負った背番号

 今回は背番号『37』を取り上げる。シーズン途中に加入した選手や、サンフレッチェ広島ユース所属の高校3年生など、ポジションも多種多様な選手がつけてきた番号だ。

 固定背番号制が始まった1997年は空き番号で、1998年に初めて37番をつけたのはFW山口敏弘。前年限りで京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)を退団後に無所属の状態となっていたが、シーズン開幕後の6月にサンフレッチェに加入した。主に2列目で持ち味のドリブル突破を武器に活躍し、翌年には背番号を9に変えて計3年間プレーしている。

 1999年に背番号37をつけたのは、MF森﨑浩司。言わずと知れたサンフレッチェのレジェンドの一人で、当時はユース所属の高校3年生。公式戦の出場はなかったが、リーグ戦1試合で控えメンバーに入った。ここで興味深いのが、以前に背番号7を取り上げた際にも紹介したエピソード。森﨑浩司はプロ3年目の2002年に背番号が7となったが、実は当時「10番が欲しいと思っていた」と、のちに語っている。くしくも37番の3と7を足した数字が『10』だ。

 この2002年、サンフレッチェはJ2に降格。10番をつけていたFW久保竜彦が移籍したため、翌2003年に向けて強化部から10番への変更を打診されたが、「もう7番へのこだわりがあったので、そのままでいいと答えた」そうだ。そのまま2016年限りで現役を引退するまで7番だったが、このとき10番に変えていたら、最初につけた背番号37との関係性もクローズアップされていたかもしれない。

 2000年から3年間は空き番号だった37番は、2003年にDF井川祐輔がつけた。当時サンフレッチェは初めてJ2で戦っており、シーズン途中にガンバ大阪からの期限付き移籍。リーグ戦15試合に出場し、1年でのJ1復帰に貢献している。

 2004年から2008年までの空き番号を経て、2009年にGK大森圭悟、2010年にFW砂川優太郎が37番をつけた。どちらも当時は森﨑浩司と同じくユース所属の高校3年生で、公式戦出場はなかったものの、砂川は同年のリーグ開幕戦で控えメンバーに入っている。

 2011年と2012年は空き番号だった37番は、2013年にDF宮原和也がつけた。同じくユース所属の高校3年生ながら、ユースの同期であるMF川辺駿とともに、年度が替わる直前の3月にプロ契約を締結している。この年は公式戦出場がなかったが、37番のままで迎えた2014年にJリーグデビュー。サンフレッチェが3回目のJ1優勝を果たした2015年にはプロ初ゴールも記録している。2017年に名古屋グランパスへの期限付き移籍(のちに完全移籍)でサンフレッチェを離れるまで、4シーズンを37番で過ごした。

 2017年から空き番号となった37番は、2021年にブラジル国籍のFWジュニオール・サントスがつけた。前年に柏レイソルから期限付き移籍した横浜F・マリノスで大活躍して注目され、そのときと同じ背番号37でサンフレッチェに完全移籍した。

 188センチ・85キロの体格を生かしたドリブル突破や力強いシュートを武器に、1年目はリーグ戦35試合7得点と一定の結果を残したが、ミヒャエル・スキッベ監督が就任した2022年は22試合2得点と振るわず、8月にブラジルのクラブに期限付き移籍(のちに完全移籍)して退団している。

 その後は現在に至るまで、背番号37は空き番号となっている。これまでも数年間の空白を経て新しい選手がつけてきたが、次に37番を背負うのは、果たしてどんな選手だろうか。