サンフレッチェ広島ユースからトップ昇格を果たし、プロの道へ足を踏み入れた越道草太。プロ2年目の今季はスタメンで起用される試合も増え、5月の名古屋戦では初ゴールもマークした。ますます期待の集まる、広島生まれ・広島育ちの新星が、自身のこれまでのサッカー人生を振り返る。(全3回・第2回)

プロ2年目のシーズン、スキッベ監督のもと飛躍の年を迎えている越道草太

ー越道草太選手がプロ入りするまでのことも聞かせてください。サッカーを始めたきっかけは?

「父と、3歳上の兄がサッカーをやっていて、兄の試合を見に行くことが多かったんです。自然とサッカーをやりたい気持ちになって、小学1年生のときに兄と同じ佐東南FCに入団して始めました」

ー父と兄の3人でサンフレッチェの試合もよく見に行っていたそうですが、当時あこがれていた選手は誰ですか。

「FWなど攻撃の選手にあこがれていたので、佐藤寿人選手や髙萩洋次郎選手が好きでした。J1で優勝した2015年あたりの試合をよく覚えています。強くて、面白くて、見ていてすごく楽しかったです」

ー中学生になって、サンフレッチェのジュニアユースに加入しました。プロになりたいと思うようになったのは、いつですか。

「ジュニアユースに入った頃は、プロになりたいと口に出してはいましたが、あまり本気ではありませんでした。強く思うようになったのは中学2年生の秋くらいです」

ー何かきっかけがあったのですか。

「1年生のときには選ばれていた地区の選抜チームに選ばれなかったとき、当時ジュニアユースのコーチだった細渕隼さんが、練習試合で自分をキャプテンに指名してくれました。その試合でめちゃくちゃ走ることができて、周りのチームメートにも 『やろうよ!』と声を掛けたりしたら、キャプテンシーや責任感が生まれて、もっと上に行きたいと思うようになったんです。それまでは戦うプレーが全然できなかったので、細渕さんが火をつけてくれました」

ーユース昇格後は、トップチームに昇格してサンフレッチェでプロになるという目標が、より明確なものになりますね。

「ユースの三矢寮に入ってからは、それしか考えていませんでした。素晴らしい環境でサッカーと向き合えるので」

ー苦しい時期はありましたか。

「高校2年生の秋くらいに腰のヘルニアを発症して、5カ月くらいプレーできませんでした。3年生の春に復帰してからも思うように体が動かなくて。チームもプレミアリーグWESTでなかなか勝てず、本当に苦しかったです。2年生の秋まではプロになれると思っていましたが、自信がなくなり、大学進学も考え始めていました」

ーそれでも夏にトップチーム昇格を伝えられました。どんな気持ちでしたか。

「本当にうれしかったです。両親に電話して報告したら、泣いて喜んでくれて。ただ一方で、自分はまだまだなのに大丈夫だろうか、という気持ちもありました」

ー2023シーズン、J1第2節の新潟戦 (2月26日、●1−2)で、早くも初めて控えメンバーに入りました。エディオンスタジアム広島 (現ホットスタッフフィールド広島)にバスで入っていくときの心境は?

「子どもの頃、よくエディスタで選手バスを出迎える 『バス待ち』(現在は禁止)もしていたので、バスの中から外を見ていて不思議な気持ちでした。あの場所でバスを見ていた自分が、そのバスに乗ってスタジアムに入っていく。ずっと鳥肌が立っていました」

(後編へ続く)