栃木県日光市にホームを置き、アジアリーグアイスホッケーに所属するアイスホッケーチーム『H.C.栃木日光アイスバックス』(以下、アイスバックス)は今シーズン、チーム創立25周年の節目を迎えた。
チームは4シーズン目の指揮を執る藤澤悌史監督の下、9月に開幕した2024-2025シーズンでプレーオフ出場をかけて熱い戦いを繰り広げていたが、惜しくもプレーオフ出場を逃した。ここではチームディレクター土田英二氏に改めてチームに対する思いを聞いた。
◆どれだけ良い状態にもっていくかという次のフェーズに入る時期
―まずは、アイスバックスでプレーしたきっかけから教えてください。
「最初は2003-04シーズンのレンタルでした。当時所属していた西武鉄道と国土が合併してチームが40人くらいになったのですが、そのタイミングでアイスバックスからオファーをいただきました。試合に出られる喜びが大きくて、そのときは本当に感謝の思いでしたね。GKの春名真仁と仲が良かく『面白いことをやっているチームだな』という印象もあり興味があるチームでもありました。
―その後、2010-11シーズンで引退され、フロントスタッフになられました。
「実は、引退後は就職する予定でした。広告関連の会社から内定もいただいていて、違う世界に行くつもりだったんです。ただ、ありがたいことに、セルジオさんや、えのきどさん、日置さんに説得されました。また、内定をいただいた会社に推薦してくれた方も『君の人生にとってアイスバックスに残った方がいいのでは?』とおっしゃっていただき、最初は3年間は『アイスバックスのために頑張ります』と言って、フロントに残ることとなりました。そこから月日が過ぎるのは早いもので、いまではもう12年経っていますね」
ー先ほどおっしゃっていましたが、アイスバックスに移籍する選手は「外から見ていて楽しそう」と思っていたとよく聞きます。
「もちろんチーム内では、資金が無くて大変なこともありましたけど、振り返ると楽しい時代だったなと思いますね。“喉元過ぎれば熱さを忘れる”ではありませんが、それでも振り返ると楽しい時期でしたし、それが今の自分の糧になっていることは間違いありません。当時は無我夢中で目の前のタスクをこなすのに一生懸命でしたけど……」
―チームに残ってここまで続けてこられた理由はどこにありますか?
「僕はアイスバックスに声をかけてもらい、選手として8年間戦えたことに感謝しています。自分自身がプレーできたのはもちろんですが、それを支えてくださる方たちの顔が見えていたので、その気持ちに答えたい、恩返しがしたいということが原動力でした。引退して3年スタッフを経験して、GMになりました。チームの方向性や成績はもちろん、選手の人生全てに関わるので責任は重いですが、アイスバックスが好きなこと、このクラブは必ず成功できると思っていることは、当時からずっと変わらない思いです」
―アイスバックスが好きな理由はどんなところですか?
「多くの方の気持ちや思いが集まっているクラブだと思っています。それは、アイスバックスになる前も後もです。チームの成績に左右されることなく地域の人たちの生活の一部としてクラブが溶け込んでいます。もちろん私たちも勝ちにこだわりますが、勝利だけを求められるチームは、そのチームへの興味が成績に左右されてしまう部分があると思います。強いときは良いけれど、弱くなると離れる人もいるでしょう。アイスバックスは、古河時代からあまり強いチームとは言えませんでしたが、常に地域とともににあり、クラブチームになったときにもそれがぶれなかったことが大きいと思っています。古河電工は愛されていましたから。もちろん当時の関係者の努力が大きいのですが、歴史的に街との結びつきの強さがあるからだと思います。例えば近所の子がホッケーを始めたら見に行く、その子が古河に入ったら応援に行く、それの積み重ねだと思います。その全てが私の“好きな理由”ですかね」
―今後、アイスバックスの歴史とどう向き合っていきますか?
「苦労したり、なかなか勝てない時代ももちろんありました。ただ、いまは『こういう時代を乗り越えたんだから我慢しろ』という時代でもないと思っていますし、そういうクラブでもないと思っています。でもこのクラブの一員である以上、“そういう時代があった”ということは知っていて欲しいですね。ちゃんと感じ取ってくれる選手もいますし、そういう姿を見るとうれしい気持ちもあります。でも『苦労したクラブ』からはそろそろ脱却しないといけないのかもしれません。歴史はチームの土台として引き継いでいなかといけませんが、クラブの価値がそこにあってはいけないと思います。今のクラブを応援したいと思ってもらうために、もっともっと地域に溶け込んでいかなければなりません。そのために地道にチラシを配ったりポスターを貼ったりして接点を増やし、今年は試合観戦に来てくださる方が、平均が1500人だったので、まずは2000人を目指したいですね」
―アイスバックスの存在意義はどんなことだと思われますか?
「この日光で、100年続いていること自体が存在意義だと思います。でも次の100年をどうつないでいくか、継続性のあるクラブにしたいです。僕がアイスバックスに入ったころは10周年を迎えるなんて想像できなったですが、10周年、20周年を超えて25周年です。そして日光で100年目のときには古河電工も一緒に迎えるべきだと思っていました。2019年に古河に復帰してもらったのですが、3、4年をかけて話合いました。“スポンサード”ということよりも、“100年続くクラブの価値”を一緒につなぎたいと伝え、それを理解していただいて一緒に迎えられることが素直にうれしいですよね。アイスバックスとして25周年、以前の本インタビューで寺尾選手が話していましたが、この25周年を夢見てきた人たちがたくさんいたと思うんです。でも見られなかった人もいて、それを忘れてはいけないし、この思いをこの先もちゃんと持っているチームであって欲しいです」
―最後に、アイスバックスで描く今後の展望を教えてください。
「今シーズンはプレーオフへは行けませんでしたが、反省して、修正して、積み上げて、必ず良いチームをつくります。そして少しでも選手にとって環境が良くなることを目指していかなければならないと思います。一方でこれまではクラブを存続させていくことが目的だったので、それをどれだけ良い状態にもっていくかという次のフェーズに入る時期だと思います。その上で、クラブのことだけを考えていくのではなく、アイスホッケー界全体を見て、いかに良いリーグ、価値のある競技にしていくかも同時にやっていく必要があると感じています。アイスバックスの成功が、業界をけん引できるところまではまだ来ていないです。何しろまだリーグ優勝していないですから。でも確実にチームは強くなりました。これからのアイスバックスにぜひ期待してほしいです」
◆プロフィール
土田英二(つちだ・ひでじ)
北海道苫小牧市/1973年10月5日生まれ
早大スケート部ホッケー部門でプレーした後、西武鉄道アイスホッケー部に入団。2003-2004シーズンにHC日光アイスバックス(現H.C.栃木日光アイスバックス)に期限付き移籍をし、翌シーズンに残留。2008-2009シーズンには主将を務める。2010-2011シーズンをもって引退し、以後はスタッフとしてチーム経営に関わる。現在は運営会社である株式会社栃木日光アイスバックス チームディレクター。