ドラフト制度の制定以降、カープも数多くの有望選手をドラフト指名してきた。2019年のドラフトでは佐々岡真司監督が強く希望する形で、明治大の森下暢仁をドラフト1位指名。大方の予想を覆し、大学ナンバーワン右腕の一本釣りに成功した。ここでは周囲からの注目を浴び、重圧と戦い続けてきたカープ歴代ドラ1投手たちの軌跡を振り返っていく。

敗れた試合でも大崩れはしていない森下暢仁投手。修正能力の高さは折り紙付きだ。

◆球団初200勝投手 北別府学(1975年ドラフト1位)

 球団史上初の200勝という偉業を達成した右腕・北別府学。高校時代は甲子園への出場経験こそないものの、カープは1975年ドラフト1位で指名するなど、その高い潜在能力を見抜いていた。入団1年目から一軍登板を経験するなど、順調に成長を遂げていくと、3年目の1978年に初の二桁勝利(10勝)を達成。この年から11年連続二桁勝利を挙げるなど、長きに渡りカープ先発陣を支え続けた。“精密機械”と呼ばれた緻密なコントロールを武器に、1982年に20勝を挙げ最多勝、沢村賞を獲得した。現役生活で積み上げた213個の白星は、今もなお球団投手最多勝利数として燦然と輝きを放つ。