◆剛球が武器の炎のストッパー 津田恒実(1981年ドラフト1位)

 山口県南陽工業高から協和発酵を経て、1981年にカープからドラフト指名。先発投手として8完投含む11勝6敗の成績を残し、球団初の新人王に輝いた。2年目以降は故障に悩まされ低迷したものの、1986年に抑えとして復活。闘志を前面に押し出すマウンドさばきで「炎のストッパー」の異名を取り、同年優勝決定試合となった10月12日ヤクルト戦で胴上げ投手となった。1989年には28Sを挙げ、初の最優秀救援投手の栄光をつかみとった。1990年に右肩を故障、1991年には悪性の脳腫瘍があることが判明。闘病生活の末、1993年7月20日に32年間の人生に幕を閉じた。

◆1年目からフル回転の100勝100S右腕 佐々岡真司(1989年ドラフト1位)

 浜田商高では、県内屈指の投手として注目を集めたが甲子園経験はなく、卒業後はNTT中国野球部に入部。カープへの入団を希望し、1989年ドラフト1位で希望球団への所属を果たした。1年目から切れ味抜群のスライダーを武器に13勝17セーブを記録。44試合に登板するなど、1年目からチームのために全力を尽くした。新人王は与田剛(中日)が選出されたものの、佐々岡にはセントラル・リーグ会長特別賞が送られた。1991年は先発に専念し、17勝を挙げて沢村賞を受賞。その後も球界を代表する投手として、先発、リリーフ問わず活躍。現役18年間で138勝106Sの大記録を打ち立てた。