◆彼の球を受けることができて、私は運が良かった
時に『愛想が悪いな』だとかファンの方もいろいろと思われていたかもしれないですが、〝そういうことではなかった〟ということです。『試合に投げる1球1球に、みんなの生活がかかっている』。大きくいえば、彼は球団経営さえも背負って投げていたくらいの、ストイックさがありました。
ですが、奥様も現役を辞めてからは『新婚みたい』だと言っていました。子どもを抱っこできないとか、そこまでしなきゃいけないのか? という思いは奥様なりにあったと思います。ストレスも溜まったというようなお話もされていました。家庭も顧みないというようなことを言っておられましたが、その意味が分かったというか……やはり北別府は球団の代表として、チームを支え、家族を支えなきゃいけないという責任を全うしたのだと、奥様がそう言われたときに、全くその通りだなと思いました。
現役時代、他球団のキャッチャーに『お前は幸せだな。良いピッチャーを受けることができて』とよく言われることがありました。
私としては、キャッチャーとして受けさせてもらって、いろんなことを勉強させてもらいましたし、北別府の球を受けることによって、自分で言うのもおこがましいですが、『キャッチャーとは何か』ということを教えてもらいました。
配球面であったり、そのピッチャーに対する気配り、目配り、心配り。そういうものを、試合で受けているうちに教えてもらいました。彼と出会えて、彼の球を受けることができて、私は運が良かったと思います。
北別府のおかげで、今の自分があって、優勝もさせてもらって、良い出会い、良い思い出をもらったと言いますか……。彼の球を受けさせてもらって、勉強をさせてもらって、感謝しかありません。
■達川光男(たつかわ・みつお)
1955年7月13日生、広島県出身
1978年にカープ入団。1983年から正捕手に定着すると、1984年の日本一、1986年、1991年のリーグ優勝に貢献。ベストナイン、ゴールデングラブ賞を3回受賞するなど、1980年代のカープ黄金期に頭脳派捕手として活躍。北別府氏の全盛期に数々の勝利を共にし、200勝達成時もバッテリーを組んでいた。引退後はカープ一軍監督の他、3球団でコーチを務めた。