◆最多勝を獲った年、神宮球場で優勝を決めた印象的な試合

 当時の先発投手は完投しないとなかなか評価をしてもらえないような時代でした。ですから、完投をして監督と握手をすることが、 私の1つのステータスでした。監督の古葉(竹識)さんや山本浩二さんから『ご苦労さん』と言われ、握手をすることに誇りを持っていました。

 ですから、キャンプで300球投げ込んでおけば、試合の150球ぐらいとあまり疲労度が変わらないのです。ヘトヘトになった時、どうやってストライクを取るかという事をキャンプの練習で体が覚えているので、試合でそれが活きてくるのです。

 何度も一緒に優勝を経験してきたなかで特に印象に残っている北別府さんの姿といえば、優勝を果たした1986年、北別府さんが18勝で最多勝を獲った年に神宮球場で優勝を決めた試合です。先発の北別府さんから抑えの津田へつないだあの試合をよく覚えていますが、見ていて本当に頼もしいエースの姿でした。やはり北別府さんはすごい投手だなと改めて思いました。

 1994年に北別府さんが引退、私は同年を最後に巨人へ移籍し、1998年に引退したのですが、引退後も変わらず良い兄貴でした。

 東京と広島でしたので、会う機会は少なかったのですが、広島でプロ野球の解説をする時には、いつもご挨拶をさせていただきました。そうすると、いつも通りの仏頂面で『元気か?』と声をかけていただき『はい、元気です』と答える。これまでの北別府さんとの変わらないやりとりをさせていただいていました。

 2022年にマツダスタジアムで開催されたカープレジェンドゲームで、久しぶりにカープOBのみなさんにお会いしました。北別府さんは体調を考慮して参加できず、お会いできなかったのは残念でした。

 私はカープで14年間プレーさせていただきましたが、13年はずっと北別府さんと共に歩み、本当に良き兄貴にお世話になりました。公私ともに、一緒に歩ませていただき、いろいろなことを教えていただき、一緒に釣りもさせていただきました。天国に行っても、しっかりとカープを見守り続けてくれていると思います。人間いつかはそちらに行きますが、ちょっと早いかな……とも思います。今、天国から見守ってくださっている北別府さんに伝えたい言葉があるとすれば『ありがとうございました』しか浮かびません。

 北別府さんが残された功績は、非常に大きなものです。私にとってカープのナンバーワン投手は、今でも北別府さんだと思っています。これからは、天国でカープの優勝を見守り続けてほしいです。

■川口和久(かわぐち・かずひさ)
1959年7月8日生、鳥取県出身
鳥取城北高-デュプロ-広島(1980年ドラフト1位)-巨人(1995〜1998)
高校時代から注目の左腕として騒がれたが、社会人野球へ進む。1980年ドラフトで原辰徳を外した1位でカープから指名を受けプロ入り。古葉竹識監督からも高い評価を受け、北別府学氏らとともに投手王国の一時代を築く。左腕投手としては珍しいスイッチヒッターとして打席に立った。