1980年代後半、『炎のストッパー』としてカープの勝利に貢献した津田恒実。1993年7月20日に天国に旅立ち、2025年で没後32年、33回忌を迎える。ここでは、改めて津田氏が残した功績と記憶を関係性の深かったOBの貴重なエピソードと共に振り返る。

 現役時代、5歳年上の津田氏と共にブルペンを支え続けた紀藤真琴氏。闘争心剥き出しの炎のストッパーは、後輩にとってはどんな存在だったのか。津田恒実と過ごした日々は、紀藤氏の野球人生に大きな影響を与えていた。(全2回/第1回)

カープ時代、中継ぎ、先発として活躍した紀藤真琴氏

説得力があった津田さんの指導

 1984年に私はカープに入団しました。当時津田さんはプロ3年目で5歳年上の先輩でした。同じ投手ということもあり、普段からとても可愛がってもらっていました。津田さんが天国に行ってから32年経ちましたが、全く年数が過ぎている感じがありません。一緒に年老いていけば、歳をとったな、あれから年数が経ちましたねと実感できますが、私の頭の中ではあの時の津田さんのままです。だから年数が経っているように感じないですね。

 1991年、津田さんが病に倒れたわけですが、本当に闘病生活を頑張っておられました。「どうなってしまうんだろう……」という気持ちがある中で、「津田さんだから、復活してくれるだろう」と願っていました。それだけに、1993年に天国に旅立たれた時には、悲しいだとか、嘘だろ、ではなくて「どうしたら良いんだろう……」と、自分の中で思考回路が停止したような感覚でした。

 プロ入り1年目、私は高卒で一軍キャンプに抜擢されました。ブルペンで初めてプロの球を見て、「俺は本当にこんな世界でやっていけるのか……」と思いました。その中でも「この人、すごいな……」と思ったのが津田さんでした。私はブルペンの後ろの隙間から津田さんを見ていましたが、投げた瞬間の声、球のスピードも含めて、凄みを感じましたし、集中されている時の鬼気迫る投球は忘れられません。