◆獅子奮迅する戦国武将のよう
一緒に一軍でプレーさせていただくようになったのは、私がプロ4年目の1987年からでした。当時私は中継ぎでしたので、ブルペンで津田さんと時間を共にする試合が多くありました。当時は7回からストッパーが登板することもある時代でしたから、出番が来るまではブルペンで津田さんは冗談ばかり言ったり、雰囲気を和ませてくれていました。
チームが勝っている試合ではストッパーがマウンドに上がる確率が高くなるわけですから、出番が近づいてくると津田さんの雰囲気が変わっていました。もう誰も話かけられないですし、闘争心というか、独特のオーラのようなものを感じさせていました。チームが勝っていて試合終盤の緊張感はすごく伝わってきていました。
マウンドに上がればファンのみなさんもご存知の通り、強気の投球スタイルで投げられるわけですが、全てのボールに気が乗っているというか、相手打者に圧をかけるように、どんどんストレートで押していく投球スタイルでした。とにかく闘争心がすごくて、1人で10人を相手に獅子奮迅する戦国武将のような雰囲気でした。
普段の津田さんは本当に優しい先輩で、私の部屋に入ってきて「おい、行くぞ! 髪のセットなんかいいから早く来いや」と言われて、よく食事に誘っていただいていました。ただ、寡黙な一面もある人でしたので、例えば調子があまり良くない時などは、「どうすれば良くなるのか、どうしたら良いのか?」と、ブルペンで1人シャドーピッチングをやってみたり、人が見ていない場所ですごく練習をされていました。普段はお茶目な人でしたので、そういう部分を人に見せるのが嫌だったのでしょうね。私たち投手の後輩はみんな可愛がってもらいましたが、野手にしてもみんな津田さんの事を悪く言う人は誰もいませんでした。みんな慕っていましたし、なかなかあのような先輩はいないと思います。
私は当時、一軍の投手陣では一番年下でしたので、いろいろと可愛がっていただきましたが、私が気の抜けたような変な投球をしてしまい、態度が悪い部分を見せてしまったときには、「おい、お前そんな態度じゃダメだろ!」と本気で叱っていただきました。普段、そういう風に言わない人だからこそ、本当に怖かったですし、指摘されたときにはすごく胸にグサっときて、説得力がありました。
(後編へ続く)