2021年オフにポスティングシステムによるメジャー移籍を表明し、カブスと大型契約を結ぶと大きく注目を浴びた鈴木誠也。今シーズンはここまでチームトップの本塁打数に、打点も77打点と活躍を見せている。
ここでは、『カープで育ったスラッガーが、メジャーに羽ばたくまで』を振り返る。背番号51を背負ってプロの世界に飛び込んだ、若き鈴木誠也の声を再編集してお届けする。
◆ プロ入り当初の目標はトリプルスリー
鈴木は学生時代から、知る人ぞ知る選手だった。小学校低学年のときに地元・東京の荒川リトルで野球人生をスタートさせると、中学時代はエース兼4番として荒川シニアを全国大会に導いた。小学生時代から通常の練習だけではなく、父親と共に夜間練習も行うなど、当時から現在を思わせるストイックさを漂わせていた。
「父親がショートが好きだったので最初はショートで、小学生時代はずっとショートを守っていましたが、高学年になってからはピッチャーもやっていました。ショートを守っていたので、好きな選手は当時巨人の二岡智宏選手でした。中学時代のポジションはファーストとピッチャーですね」
その後、鈴木は『強豪校を倒しての甲子園出場』を目指して東京の古豪・二松学舎大付高に進学。1年時からレギュラーとして試合に出場し、秋からはエースナンバー1を背負い、本格的に投手として頭角を表すこととなった。
「(高校入学)当初は怖いもの知らずで『投げてもバットに当てられる気がしない』という気持ちで強気でしたね。ただ、コントロールを意識するようになってから悩むことも多くなりました(苦笑)。すぐに試合に出られるという気持ちは全くありませんでしたし、(打撃に関しても)高校生の投手はすごいんだろうなと思っていました。でも、実際に対戦してみると『あまり中学時代と変わらないな』という印象があって、案外打つこともできました」
150キロに迫るストレートを武器とする速球派投手として鳴らす一方で、打撃面も際立っていた。高校で積み重ねた本塁打は通算43本。甲子園は不出場、2年夏の都大会4強が最高成績だったものの、ドラフト前には複数のプロ球団が注目するまでになっていた。
ちなみにこの年のドラフトは花巻東高の大谷翔平(日本ハム1位・現エンゼルス)、大阪桐蔭高・藤浪晋太郎(阪神1位)らに注目が集まっていた。
「高校時代はずっとプロを目指していましたし、プロしか考えていませんでした。(ドラフト当日は)関係者の方から『広島2位指名』という連絡があって、みんな喜んでくれました。下位指名だと思っていたので本当にビックリしましたし、頭が真っ白で実感が湧きませんでした」
高校時代から鈴木を追い続けてきた尾形佳紀スカウトは打力と走力を高く評価し、カープは鈴木を〝内野手として〟指名した。プロ1年目、2013年の春季キャンプでは主にショートでの練習を続け、泥まみれになりながら白球を追いかける毎日を送っていた。