◆初のキャンプは二軍スタート。初のスタメンは9番・サード

 「ショートは自分の中でカッコいいという思いがありますし、やりがいはあります。でも本格的に始めると難しいですね(苦笑)。いろいろな判断が要求されますし、頭も疲れます」

 高卒ルーキーの鈴木はキャンプ二軍スタートであったが、大器の片鱗を見せていた。かつて前田智徳が背負っていた背番号51のユニホームに袖を通すと、春季キャンプ2日目には半日とはいえ早くも一軍の練習に帯同。インフルエンザを発症したフレッド・ルイスに変わる一日限定の参加だったとはいえ、野村謙二郎監督(当時)を筆頭に首脳陣から高い評価を受けた。

 「一軍は緊張感が全く違うなと思いました。練習に参加させていただいて、また一軍で練習したいと強く思いました。(プロに入って3カ月を迎え)体力的な面は問題ありませんが、一軍の投手が投げる球は(高校生とは)全然違うなということを実感しています」

 キャンプを終え、ルーキーながら大きな期待をかけられた鈴木は教育リーグに続き、ウエスタン・リーグ開幕戦でも〝9番・サード〟でスタメン出場を果たした。まだまだ線は細かったものの、当時から野球センスは新人選手の中でも桁違いだった。

 「何でもいいので『プロにいたんだ』という記録を残せる選手になりたいです。一番の大きな目標は野村(謙二郎・元)監督も達成された『トリプルスリー』です。また長い年数、プロとしてプレーしていきたいですね。僕と同じくプロに入ってから野手になった堂林(翔太)さんを目標にして、将来は一緒に三遊間を守りたいです」

 これはプロ入り3カ月後に鈴木が発したコメントだ。当時カープは25年ぶりの優勝前夜。菊池涼介ら多くの若手選手が一軍で台頭し、チームが変化し始めた中で、鈴木はプロの第一歩をスタートさせた。

(第2回へ続く)