1993年の創刊以来、カープ、サンフレッチェを中心に「広島のアスリートたちの今」を伝えてきた『広島アスリートマガジン』は、2025年12月をもって休刊いたします。32年間の歴史を改めて振り返るべく、バックナンバーの中から、編集部が選ぶ“今、改めて読みたい”記事をセレクト。時代を超えて響く言葉や視点をお届けします。

 第4回目の特集は、カープ歴代助っ人外国人のインタビューセレクション。

 海を渡ってカープにやってきた助っ人たちは、その活躍だけでなく、ユニークなキャラクターでも多くのカープファンに愛された。ここでは懐かしい外国人選手を中心に、彼らの “広島愛”を改めて振り返る。

 2012年途中にカープに入団すると、2014年には37本塁打を放ち『本塁打王』に輝いたブラッド・エルドレッド氏。2016・2017年のリーグ連覇時には打線の中軸として活躍し不動の4番に君臨する一方、ママチャリ姿で街なかを走る姿は多くのファンから愛された。現在も駐米スカウトとしてカープに携わるエルドレッド氏が大切にしてきた信念とは。(全2回/第2回)

(『広島アスリートマガジン2017年5月号』掲載記事を再編集)

現在はカープの駐米スカウトとして、主に外国人野手のスカウティングを担当している

どんな時も常に全力を尽くす

— 日々のプレーの中でエルドレッド選手が一番大切にされている点は何ですか?

「野球を始めた頃、父親から言われた『絶対に手を抜くな。何事にも全力で取りかかれ』という言葉を大切にしています。とにかく何事も全力で取り組まなければ結果がついてこないと思っています。守備に就く時も、自分が手を抜くということはまずありません。その日出すことが出来る100%の力を絶対に出そうと思っています。自分が試合に出てプレーしている以上、私のプレーをチームメートが見ています。チームの代表として試合に出ている以上、チームメートが恥ずかしくないプレーをしようと常に心掛けています」

— プロ野球選手としてのキャリアの中で最も影響を受けた人物は誰ですか?

「初めて3Aに上がった後に出会ったコーチです。当時打撃後の走塁で手を抜いてしまったことがあったのですが、その時コーチはとてもキツく私を叱ってくれました。全力でプレーすることの大切さという基本的なことをプロのレベルで教えてくれた初めてのコーチでしたので、すごく印象に残っています」

— キャリアの中で印象に残っている本塁打はありますか?

「米大リーグでの初めての本塁打は印象深いです。自分には兄がいるのですが、初本塁打の日が彼の誕生日だったのです。また彼の名前が『デレック』なのですが、なんと打った投手の名前も『デレック』だったのです。そうした偶然も重なったこともあり、よく覚えています」

— エルドレッド選手が考える異国の地で成功するための秘訣とはどんなことですか?

「外国人選手として日本に呼ばれたということはスカウトの目に留まる『何か』があったということです。自分が持っているその『何か』を信じ、それをどれだけ出せるかということが大切です。また在籍したチームがどんな野球を目指しているのかということも理解しないといけません。ときには『何でこんなことをやっているんだ』と思うこともあると思います。ただその疑問をいろいろな人に聞いて、理由を理解して納得するということが大切です。『こんな事はしたことないからやらない』ということではなく、やってみて理解するというその姿勢が大切なのです」

— エルドレッド選手も日本ではそういった意識を持ってここまでプレーされてきたのですか?

「もちろんです。そういう努力をしていなかったら、来日3年目以降の契約はなかったと思っています。私の来日2年目の成績は決して良い成績ではありませんでした。それでも契約を結んでくれたというのは、その時にいたスタッフの方々が『チャンスを与えれば絶対に成績を残すはずだ』と信じてくれたからだと思います」

— 球場には小さいお子さんから、ご老人まで、たくさんの方々がエルドレッド選手のユニホームを着て応援に駆けつけてくれています。最後にファンに対してメッセージをお願いします。

「試合中外野で守ってるときに、自分のユニホームを着ていたり揺らしながら応援している姿がよく見えます。ファンのみなさんが稼いだお金で私のユニホームを買ってきてくれているというのは、選手としては本当にうれしいことです。自分にとって自信にもなりますし、言葉では表せないぐらい勇気をもらっています。間違いなく私の目に入っていますので、球場で結果を残し、ファンに少しでもお返ししたいと思います」

■ブラッド・エルドレッド
1980年7月12日生、米国出身
フロリダ国際大-パイレーツ(2005年、2007年)-コロラドロッキーズ(2010年)-デトロイトタイガース(2012年)-広島(2012年途中〜2018年)