1993年の創刊以来、カープ、サンフレッチェを中心に「広島のアスリートたちの今」を伝えてきた『広島アスリートマガジン』は、2025年12月をもって休刊いたします。32年間の歴史を改めて振り返るべく、バックナンバーの中から、編集部が選ぶ“今、改めて読みたい”記事をセレクト。時代を超えて響く言葉や視点をお届けします。

 第3回目の特集は、カープ歴代エースのインタビューセレクション。

 佐々岡真司、黒田博樹、前田健太——。時代ごとに“エース”の名を背負い、広島のマウンドに立ち続けた男たちがいた。カープのエース系譜を刻んだ投手たちの言葉を、改めて辿っていく。

 今回は、カープ一筋に腕を振り続け、1991年には最多勝、最優秀防御率、沢村賞、最優秀選手、ベストナイン、最優秀投手など賞レースを総なめにした佐々岡真司を取り上げる。当時プロ野球史上6人目の先発100勝100セーブを達成した2003年の独占インタビューを、再編集してお届けする。(全3回/第1回)

(『広島アスリートマガジン2003年11月号』掲載記事を再編集)

現役時代、先発・リリーフと様々な役割でカープを支えた佐々岡真司

◆抑えとして投げる時は、なおさら力が入ってしまう

ーまずは、100勝100セーブ達成おめでとうございます(取材は2003年10月)。開幕時にはあとセーブ3つで達成だったのですが、佐々岡投手は100セーブ達成を今年の目標にされていたのでしょうか?

「今年は1年間通して先発でやるつもりだったので、正直頭にはありませんでした。狙っていたとしたら一昨年ですね。シーズン途中で先発から抑えに回って、その時あと10個だったので目標にしていたのですが、3つ残してしまいました。そして昨年はまた先発一本でやっていたので、『あと3個だし、いつかは達成したいな』ぐらいには思っていました。ただ今年も一年間先発ローテーションで投げていく事を第一に考えて、キャンプからずっと取り組んできたので、セーブの方は正直目標にはあげていませんでした」

ー一年間抑えを務めてきたルーキー永川(勝浩)投手が腰を痛めて、急遽リリーフを務めることになりましたが。

「僕も腰の調子が悪くて、8月25日に登録を抹消して、10日以上空けたどこかで再登録しての先発を目標に、調整を続けていました。あれはリリーフで投げる前日(9月6日)だったでしょうか。大野練習場で調整していた時、東京遠征中のチームから電話で先発復帰の日が連絡されました。『よし、あとは当日に向けてきっちり調整だ』と思っていたその約1時間後、また電話がかかってきたのです。『申し訳ないが大至急東京に来てくれ。永川の前(セットアッパー)を頼みたい』。もう10日経って、体調もよくなっていましたし、チームも優勝には届かないまでもAクラスがかかっていたので、『わかりました』と返事をしました。それで一度家に戻って荷物をまとめて、急いで新幹線に乗り込み夜に東京に着いて、チームに合流したんです」

ー翌日(9月7日)再登録し、早速マウンドに上がられるのですが、2点リードの9回裏でした。

「球場に入ると『永川の(腰の)状態が良くないので、9回に合わせてくれ』と指示を受けました。ただ本当に投げる展開になって無事抑えられてよかったです」