多くのカープファン、そしてチームメートにも愛された松山竜平。18年にわたりその卓越した打撃力でチームの期待に応え続けた男が、今季限りでカープを去る決断をした。12月に行われたトライアウトでは、背番号55の勇姿を見ようと多くのファンがマツダ スタジアムに足を運び、声援を送った。新たな舞台へ挑戦する松山が、カープファンと球団への深い愛を語る。(全2回/第2回)
◆カープだからこそ18年できた
─改めて、カープでの18年間は松山選手にとってどのような期間でしたか?
「なんとも言えないですね。あっという間というのも正直ないです。僕も苦労して一軍に上がってきて、苦しかったことが結構多かったので……。でも3連覇した時から考えたら、あっという間だったかなとは思います」
─打撃が売りで、外国人選手などライバル視する選手も多かったのでは?
「今考えたら全くないんですよね。ライバルというか、僕は僕だと思ってやっていました。『こいつには負けないぞ』というより『打撃だったら誰にも負けないぞ』ぐらいの気持ちでやっていました」
─数々の試合、打席がカープ在籍中にありました。印象に残る打席、一打を改めてお伺いできますでしょうか?
「やっぱり一番思い出に残っているのは、自分の誕生日に優勝した試合です。(2017年9月18日、甲子園での阪神戦)1打席目からタイムリーを打てて、あれはうれしかったですね。しかも自分の誕生日の日に優勝できるなんて。なかなかないですよね。打席で言うと、たくさんありますが、2016年の日本シリーズで大谷(翔平)選手から打ったホームランですね。初めての日本シリーズですし、今世界ナンバーワンの選手となっていますが、そういう選手から打てたということは思い出に残る1本ですね」
─3連覇時は主力としてチームに貢献されました。あの優勝はどんな意味を持っていますか?
「優勝を経験できずに終わっていく選手も多い中で、3回も経験させてもらいました。本当にプロ野球の優勝っていうのは素晴らしいし、難しいし、体験したらもう忘れられないですね。そして、また優勝したいという思いが強くなりますね」
─松山選手と言えばお立ち台のコメントが話題となりました。
「あれは素直に、おじいちゃんおばあちゃんに一番お世話になったので、、おじいちゃんおばあちゃん孝行じゃないですけど、あのような場面で言ってあげることで喜んでくれるので、そういう思いがありました。今後、カープ以外で言えるところがあれば良いですね(笑)」
─37、44、55と背負った背番号に対する思い入れはいかがですか?
「37はプロでずっとつけていく番号だと思っていたので、それが変わるときは正直ショックもありました。でも『新たな背番号44で絶対活躍してやろう』という強い思いができたので44にもすごく思い入れがありますし、3連覇した時も44番だったので、特別な番号です。55番は嶋さん(重宣・元カープ)と自主トレを一緒にしていましたし、エルドレッドも大好きだったので、2人が背負った番号を僕が背負いたいと思っていたんです。それぞれに思いがあって、それぞれの番号が背中を後押ししてくれた番号でした」
─18年間、声援を送り続けてくれたカープファンの存在はどんなものですか?
「みなさんの熱さは僕らの力になりました。今年は球場に駆けつけてくださる方がだいぶ減りましたが、これからの選手がまた満員にするぐらい盛り上げていかないといけないと思うんです。みなさんの気持ちが熱いからこそ、勝てない試合が続いたら、見にも行きたくないんじゃないかと思うんですよ。だから、そういう熱い人たちがまた球場に足を運んでくれるようにしてほしいです」
─では、18年間在籍したカープ球団への思いを聞かせてください。
「中途半端な選手でしたけど、それでも18年間置いてもらって、カープじゃなかったら18年もできていなかったと思うので、感謝しかないですね。いつも熱心に応援してもらい、時に厳しい激励をいただくこともありました。すべて僕にとってはありがたいことでした。これからの若い選手たちが必ず、カープを盛り上げてくれると思います。そこに期待して、また球場を真っ赤に染めていただきたいなと思います。そして、どこに行ってもまた応援していただきたいです。18年間ありがとうございました!」

