◆【抜群の勝負強さ見せた代打人】浅井樹 1989年ドラフト6位
<通算成績:1070試合/523安打/259打点/52本塁打/41盗塁/打率.285>

 前田智徳と同じく1989年のドラフト6位でカープから指名された浅井樹。入団から2年目までは一軍出場機会に恵まれなかったが、当時二軍打撃コーチの内田順三(現JR東日本硬式野球部外部コーチ)の指導を受け、6年目の1995年に一軍に定着。7年目には規定打席未到達ながら打率.339をマークし、左の代打の切り札としてブレイクを果たした。

 同時期に前田、金本知憲ら好打者がひしめき合っていたこともありレギュラー定着は果たせなかったが、首脳陣からは右の町田公二郎と共にスーパーサブとして高い評価を受けた。引退後もカープに残り一軍、二軍で打撃コーチ、2013年から昨季までは三軍統括コーチとして後進の指導にあたった。

◆【トレーニングで得た鋼の肉体とパワー】金本知憲 1991年ドラフト4位
<通算成績:2578試合/2539安打/1521打点/476本塁打/167盗塁/打率.285>

 大洋(現DeNA)にドラフト1位で入団した斎藤隆など、東北福祉大から5名の選手が指名された1991年のドラフト。後にカープの主力選手へと成長する金本知憲も同校出身選手として、カープからドラフト4位で指名された。

 2年目までは非力な打者だったが、心機一転ウエートトレーニングで肉体改造を図ると、3年目の1994年に17本塁打をマーク。その後も当時一軍打撃コーチの山本一義から徹底指導を受け、スラッガーとしての素質を開花させた。順調に本塁打数を伸ばし、1997年にはチームトップとなる33本塁打をマーク。2000年にはプロ野球史上7人目となるトリプルスリーを達成した。

 2002年オフの阪神へのFA移籍以降も中軸を担い、2004年には打点王のタイトルを獲得。世界記録となる連続試合フルイニング出場、NPB記録となる連続打席無併殺打など、その後も多くの記録を打ち立てた。