◆大学で一番にならなければ、プロになれないと思っていた

— 負けず嫌いな小学生がしっかりと結果を残し、ユースに昇格しました。
「今までのサッカー人生の中で高校の3年間が一番重要な時間だったと思いますし、森山(佳郎)監督に教えてもらったことが自分の中でとても大きいですね。森山監督じゃなかったら今頃どうなっていたか分からないくらいです。ジュニアユースではチームの中心だったこともあり好き勝手にプレーしていましたが、ユースに上がると3年生とフィジカルの差もサッカーのレベルの差もすごくあって、何もできないと感じました。当時のチームが強かったこともありますが、その人たちと練習でやり合えたことがすごく重要だったように感じます」

— 具体的なテーマを持って取り組んできた3年間だったのですね。
「結局、体格も2年になっても、3年になってもデカくなりませんでしたからね(苦笑)。でも自分が生きていく道は、この道しかないんだって思いました。今も好きなんですけど、バルセロナのシャビやイニエスタ(ともに身長は170センチ)を見て練習で実践してみたり勉強してきました」

— ただ、トップチーム昇格はならず、東京学芸大へ進学しました。
「小学生からサンフレッチェでやっていましたし、トップチーム入りは大きな目標でした。高校3年のときに『トップチームに上がるのは難しい』と言われて悔しかったですけど、自分の中でも実力がなかったのは分かっていました。そのときは意外に『大学で4年間もう1回頑張ろう』とすんなり考えることができました。ただ、まさか帰ってくることになるとは、そのときは全く思っていませんでしたけどね」

— 大学の4年間はユースからトップに上がれなかった理由を埋める時間でもあったと思います。
「同じ学年のうまい選手は高校を卒業してプロになっているわけで、大学でサッカーしているのはプロになれなかった選手。大学へいくときに大学で一番にならなければ、プロになれないと思っていたので、たとえ関東選抜でもそこでやれなければ絶対にプロになれないと思っていました」