かつてカープは『常勝・赤ヘル軍団』と呼ばれ、リーグ優勝、そして日本一を達成するなど多くのプロ野球ファンにその強さを知られてきた。ここでは、当時のカープを知るレジェンドOBの“提言”を、再編集してお届けする。

 カープ時代はその俊足で三度の盗塁王に輝き、ベストナインを5回受賞するなど野手陣の中心として活躍した高橋慶彦氏。常勝・赤ヘル軍団を支えた韋駄天の考える『機動力野球』とは。そして、カープへの熱き思いを語ってもらった。(第4回/全4回)

(『広島アスリートマガジン』2012年12月号掲載記事を再編集)

現役時代、3度の盗塁王に輝いた高橋慶彦氏

◆「足だけでもプロ野球は飯が食えるんだぞ」

 私が考える『機動力』というのは、正直言って一番打者と二番打者だけなんですよ。九番に投手が入ってるセ・リーグでは、特にそうです。

 私が一番を打っていた時代は山﨑(隆造)や正田(耕三)が二番を打っていました。その当時も機動力野球と言われていましたが、三番以降はライトル、(山本)浩二さん、衣笠(祥雄)さん、ギャレット、水谷(実雄)さん、水沼(四郎)さん……みんなそんなに走らないでしょ(笑)。

 一、二番に絡んで野球が動いてるから、機動力野球に見えるんですよ。そして相手を崩しに掛かるときに、機動力が生きてくるわけです。最初の1点を取るときには一番が出塁して盗塁する、二番が送って三番が返す。そこが機動力の最重要ポイントなわけです。

 カープはプロ野球に入って、育ててもらった球団です。当時の古葉(竹識)監督から「慶彦、足だけでもプロ野球は飯が食えるんだぞ」という言葉をもらって、それが高橋慶彦という選手の方向性を示してくれました。

 そして、良い監督、コーチに出会えて、良い先輩方、仲間に恵まれたおかげで、高橋慶彦という選手ができあがりました。強い時代にカープにいたおかげで優勝も日本一も経験させてもらいましたし、「どうやれば勝てるのか」を体験できたし、教わりました。

 私の人生で、カープは切っても切れないものです。

■高橋慶彦(たかはし・よしひこ)
1957年3月13日生、北海道出身
城西高ー広島(1975年〜1989年)ーロッテ(1990年)ー阪神(1991年〜1992年)

1975年にカープに入団すると、当時の古葉監督の下、赤ヘル黄金時代の『一番、ショート』として1978年にレギュラーに定着。1979年には33試合連続安打の日本記録を打ち立てるなど、カープ初の日本一に貢献した。5度の打率3割、4年連続20本塁打を記録するなどスイッチヒッターとして活躍。3度の盗塁王にも輝いた。

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