長年にわたり、カープを支えてきた名スカウトたち。ここでは歴史をつくってきたスカウトが明かす『ドラフト秘話』を紹介する。今回は長年スカウトとしてカープを支えた、故・備前喜夫氏の言葉で、懐かしい選手たちのドラフトエピソードを振り返る。
今回紹介するのは、類稀な打撃センスと独自の打撃理論で安打を量産した『孤高の天才』前田智徳の獲得ヒストリー。現役時代は4度のベストナインとゴールデングラブ賞に輝き、当時史上36人目となる2000安打も達成したサムライ・前田の素顔を、備前氏の言葉で紐解いていく。
◆才能の片鱗を見せていた“サムライ”の高校時代
打撃に対しての妥協なき姿勢から、前田は「サムライ」あるいは「芸術家」などとプロ野球ファン全体から評されてきました。入団前の高校時代からその面影はありましたが、地元熊本のラジオ番組やタウン誌を楽しみにしていたという面もあったそうで、もともとは素朴でおとなしい野球少年だったと記憶しています。
4位という部分だけで見ると一見評価が低かったように見えますが、決してそうではありませんでした。彼の事は高校1年時から「熊本に非常に打撃センスの良い子がいる」という情報が、九州を担当していた村上(孝雄スカウト)を通じて入っていました。
彼は前田をずっと追いかけていて、「これはぜひとも欲しい選手ですので」と報告を受けていました。それで私も、3年の春のセンバツに甲子園まで見に行ったんです。確かに足も速く肩も強くて守備範囲の広いセンターで、そして何より、球を芯で捉えるのが上手かったのです。
ただこの大会では内容が悪かったので、それで他のチームの評価があまり高くなかったのではないかと思います。ただ、カープの評価は全く変わりませんでした。
試合でヒットやホームランを打っても、何か自分で納得がいかない点があると度々首をかしげていました。そしてバットのボールが当たったポイントをじーっと見て確認している。これは現役時代とほとんど変わりませんが(笑)。
高校時代から、結果だけを見ているのではなく、内容で自分のバッティングを分析するタイプでした。「打撃に対して相当こだわりを持っている子だな」と感心して見ていたものです。本人もプロ入り志望で、しかもカープ入団にも前向きだったので、獲得には問題はありませんでした。
順位は4位と低かったですが、よくあの順位で獲れたと思っています。同期の仁平(馨)、前間(卓)が春から夏にかけて評価を上げていたこともあり、順位は先を越された形になりましたが、素材としては彼らに十分勝っていたと思っています。
もし他球団に先に指名されていたら、悔やんでも悔やみきれない事になっていたかも知れませんが、村上が学校(熊本工高)側にも本人側にもしっかり話をして、十分に入り込んでいたのが大きかったと思います。
【備前喜夫】
1933年10月9日生〜2015年9月7日
広島県出身
旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987〜2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。
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