長年にわたり、カープを支えてきた名スカウトたち。ここでは歴史をつくってきたスカウトが明かす『ドラフト秘話』を紹介する。今回は長年スカウトとしてカープを支えた、故・備前喜夫氏の言葉で、懐かしい選手たちのドラフトエピソードを振り返る。
1993年に導入された『逆指名制度(希望入団枠制度、自由獲得枠制度とも)』。大学生・社会人を対象として、選手側が自身の希望する球団を宣言することのできるこの制度では、1994年の山内泰幸(逆1位)、1996年の黒田博樹(逆2位)ら球団史にその名を刻む名選手たちがカープに入団してきた。
今回は、2000年のドラフト2巡目(逆指名)で入団した廣瀬純獲得の裏にあったエピソードを紹介。強肩強打の外野手として活躍し、現在もコーチとしてチームを支える廣瀬の入団秘話をお送りする。
◆実績を評価して、早々と2位での獲得を決めていました
山本浩二をはじめ、法政大学は山本一義、西田真二、小早川毅彦といった往年のカープのスラッガーを輩出しています。この名門に1997年に入学した廣瀬純は、3年生となった1999年春の東京六大学リーグ戦で三冠王を獲得し、4年生では主将を務めました。プロとアマチュアが初めて合同で臨んだシドニー五輪にも7試合に出場しています。
佐伯鶴城高3年の夏には、大分県代表として甲子園出場の経験があります。この高校は野村謙二郎(元カープ監督)や阿南準郎元監督の母校でもありますから、高校生の段階で我々スカウトに彼の情報が入ってきても決して不思議ではありません。しかし当時は彼の事は話題にあがりませんでした。恐らく早い段階で進学の方向を打ち出していたからではないかと思います。
法政大学入学後は、担当の苑田スカウトが三冠王を獲る以前から「走攻守三拍子そろった即戦力の外野手」としてマークしていました。特に評価されていたのが守備面です。捕球してからスローイングまでの速さ、山なりではなく低くて速い送球ができる強肩に加えて、打球を追う際に落下点に直線的に早く入れるという守備センスの良さが長所でした。
名門大学の主将であり、アマチュア球界で輝かしい成績を残した廣瀬は、プレーヤーとしての能力はもとより、リーダーシップにも優れているという評判を持っていました。
将来のチームリーダーとして期待した我々カープスカウトは、彼の逆指名による獲得を目指して、法政大の練習場を訪れ、当時の山中正竹監督に廣瀬獲得の意思を伝えました。すると法政大側は、本人に伝えるために契約金や年俸など入団条件について聞いてきたのです。
我々は「カープ球団としては現時点では条件面について確定していません」と答えました。よって先方からすぐに良い返事がもらえるところまではいきませんでした。我々としては「他球団からもアプローチが来ているのかも知れない」と思いながら、「また後日伺いますのでよろしくお願いします」と言って練習場を後にしました。
しかしその日の夕方に法政大側から電話があって、「廣瀬本人と話をしたら『広島なら行きます』という事だったので、よろしくお願いします」との回答がありました。こうして廣瀬からの逆指名を受ける事になり、ドラフト2位で獲得する事ができたのです。
この2000年のドラフトは1、2位枠24名のうち18名が逆指名での入団という「無風ドラフト」と呼ばれた年でした。立命館大の山田秋親投手(元ダイエー)、JR東日本の赤星憲広外野手(元阪神)らが、それぞれ逆指名で入団しています。
廣瀬を1位でなく2位で獲得する事になったのは、この年のカープが1位に高校生投手を獲得する方針だったからです。カープは1位に戸畑高の横松寿一を指名しましたが、他にも敦賀気比高の内海哲也(元巨人など)、春日部共栄高の中里篤史(元中日)、加賀高の田中良平(元ロッテ)が高校生投手として1位指名されています。
廣瀬と初めて会った時の印象ですが、やはり主将を務めるだけあって、礼儀正しくて几帳面な性格と感じたことが今でも記憶に残っています。
【備前喜夫】
1933年10月9日生〜2015年9月7日
広島県出身
旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987〜2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。
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