2026年シーズン、工藤泰己のプロ野球人生はケガという試練ともに始まった。1月、春季キャンプを前にした練習中に右大腿二頭筋腱膜部を損傷。リハビリ組からのスタートとなったが、そんな工藤を支えたのは大学時代の恩師の言葉だった。来季の活躍が期待される大卒右腕が、運命のドラフト、リハビリの日々、そして復活までの軌跡を明かした。(全3回/第2回)

大学時代は大学日本代表の選考合宿入りも経験した工藤

◆「今年1年はやばい。でも……」ケガの瞬間、脳裏をよぎった思い

―工藤投手がプロを意識し始めたきっかけはいつ頃だったのでしょうか?

「高校3年の時、当時の同級生がプロに入るのを見て『プロって良いな』と思ったのがきっかけです。それまでは普通に公務員志望でした」

―大学進学時点でプロを目指す気持ちは固まっていたのですか?

「そうですね。『絶対にプロに行く』という気持ちで4年間取り組みました」

―大学時代は球速にこだわりを持っていたのでしょうか?

「そうですね。大学生の時は自分を売りにいかないといけないと思っていました。地方リーグの選手が一番注目されやすいのは、やはり球速だと思っていたので。“最速何キロ”という数字が出れば、一気に全国に名前が広がる。そこを意識して4年間は球速を伸ばし、どれだけ全国に名前を広げられるかということを考えていましたね」

―明確に自己プロデュースをされていたのですね。

「そこに関してはうまくいったかなと思います(笑)」

―その結果、2025年のドラフト会議でカープから4位指名を受けました。名前を呼ばれた瞬間の気持ちを教えてください。

「うれしいというより悔しい思いの方が強かったです。『ドラフト1位でプロに行く』という目標を立てて4年間やっていたので、結果が4位だったという事実が悔しかったです。結果論ではありますが『もっと結果を出していれば』『もっとこうしておけば順位が上がっていたかもしれない』ということが呼ばれた瞬間に思い浮かびました」

―プロ入り後は、合同自主トレでケガをされ、いきなり“試練”が訪れました。どう気持ちを切り替えていましたか?

「ケガをした瞬間に、『何カ月で復帰できるのか』『どういうプランで進めるのか』。正直『今年1年はやばいな』と思う部分もありました。でもケガをした以上は仕方ないので、再びケガをしないことを意識しながら、自分の『ベースアップ』を目標に切り替えました」

―ここでも『一喜一憂しない』という高校時代の教えが生きていますね。

「それは確実にあります」

―二軍で登板も経て、8月29日には一軍登板も経験しました。一軍で手応えは感じましたか?

「もともと自分は三振を取れる投手ではないと思っていました。でもシーズンを通して徐々に三振も取れるようになってきましたし、ストレートにも手応えを感じられるようにもなりました。もともとストレートの球質自体は良くないと思っていて、『本当に通用するかな?』と思っていたのですが、意外と楽にファウルを取れたり、力を抜いて投げたい時に空振りが取れたりする。そこは手応えを感じましたね」

(第3回へ続く)

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